風の旅人

それでも恋するバルセロナの風の旅人のレビュー・感想・評価

それでも恋するバルセロナ(2008年製作の映画)
3.7
「人生は短くて、退屈で、苦悩ばかりだ」

親友同士のヴィッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)は、バルセロナにバカンスにきていた。
二人は「好みも意見も同じ」だったが、恋愛観は違っていた。
婚約者がいるヴィッキーは堅実的な恋愛を求め、クリスティーナは情熱的な恋愛を求めていた。
二人はバルセロナで情熱的な赤いシャツを着た画家のフアン(ハビエル・バルデム)と出逢う。
一夜を共にするためにフアンの部屋を訪れたクリスティーナだったが、途中で体調を崩し倒れてしまう。
それが原因で、本来交わることのなかったフアンとヴィッキーが急接近することになる。
ここに三者の三角関係が始まり、物語は中盤でフアンの元妻のマリア(ペネロペ・クルス)を加え、歪な多角形を描く。

冒頭に引用したフアンの台詞が示すように、人生が「無意味」なら、本能の赴くままに楽しんだ者が勝ちという価値観を提示した作品。
いつものウディ・アレン節が炸裂している。
自由奔放に生きるフアンとマリアが羨ましかった。
劇作家の山田由梨は「ブラジャーなんかに救われない」というエッセイの中で、我々を縛るフィクション(物語)をブラジャーに置き換え、次のように言っている。

「そもそもブラジャーをつけなければいけないという法律や決まりはない。着脱の自由は常にあるはずなのだが、それをどれくらいの女性が意識しているだろうか。多くの女性がワイヤーの締め付けや、肩にかかるストラップによる肩凝りを感じながら、乳首をTシャツの下に透かせてはいけないという社会からの無言の圧を受けているように思う。
調べてみたところ、日本において今のような形態でブラジャーが普及したのは50年程前からで、歴史は浅い。また、洋画を見ているとカフェで話している女優のシャツに乳首の突起が見えていたりして、まじか、と思ったりする。だとすれば、この日本における『ブラジャーをしなきゃいけない』という空気は、この50年くらいで作り上げられた現代社会の物語のひとつであり、本来は絶対的な必要性も強制力もないフィクションであることがわかる」

常識や社会通念に囚われない生き方をしているフアンとマリア。
彼ら芸術家にとって、この世界に流通しているフィクション(物語)など、屁でもないのだろう。
しかし普通の人にとっては、それを信じていないと生きていけないわけで、ヴィッキーはその一線を越えられない。
当初彼らの世界の門をくぐったクリスティーナも、やがてこちらの世界に戻ってきてしまう。
フアンとマリアの世界をもっと見ていたかった。
私がウディ・アレン監督の作品を面白いと思いつつ、どこか物足りなさを感じるのは、それが原因かもしれない。