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誰よりも狙われた男のmogのネタバレレビュー・内容・結末

誰よりも狙われた男(2014年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ホフマンのファーックを聞くための2時間。

以下ホフマンのファーックが我々に与える感情は一体なんなのかという考察。

ホフマンが「善いこと」をしてるのかどうかは最初からずっと微妙なところで、視聴者は彼の作戦がうまくいくように祈るみたいな立場に置かれるわけでもなく、彼に感情移入して見てるわけでもないんだけど、だからこそ、最後の裏切りと残されたホフマンを見る気持ちに複雑な余韻が残る。

この裏切りが信念の違いなのかチンケな派閥争いなのか、どうとでも取れるし、この結末がホフマンの計略が成功した場合に比べて「良い」のか「悪い」のかさえどっちにも取れるけど、にもかかわらず、見てる側はなんか負けた感というか無力感を味合わされる。

よく考えてみれば、登場人物全員、負けてるんだよね。イッサ青年もレイチェル・マクアダムスもウィレム・デフォーもみんな100パーセント善意の人として描かれてるわけでもなくそれぞれの弱さとかエゴがある。彼らはみんなホフマンに利用されて動かされてる。そのホフマンのやり口を非難する目で物語を見てたらみんなを思うままに動かしてた悪党としてのホフマンが最後に嵌められてザマァみろみたいにも思えるのかもしれない。でもやっぱり感情的にそうはならないのはホフマンにはエゴイスティックな部分があるとしてもホフマンなりの大義があって動いてるのは伝わってるから、個人の信念みたいなものが「大きなシステム」であると同時に「小さな誰かのエゴ」でもあるようなよくわからんものに潰されるショックを感じるんだろう。単に泳がされてたのはお前だ!みたいな話ではなく。

裏切りに絶望して感情を爆発させた後意気消沈して街に消えていくラスト・カットには、これが遺作だと思えばどうしたってホフマンの人生を重ねてしまい切なくなる。しかし映画のラストシーンとしてみればバッハマンはこの出来事をきっかけに情熱を失って絶望の殻に閉じこもり再起不能になるというよりは、彼はまた彼の信念に基づいてこれからもずっと諜報活動を続けていくだろうと思わせるところがある。このシーンにホフマンのフィルモグラフィーの最後のワンシーンとしての意味づけをするならそういう風にも読みたいと思ったり。
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