天豆てんまめ

ヤング・アダルト・ニューヨークの天豆てんまめのレビュー・感想・評価

3.8
私はヤングを通り過ぎたアダルトな人間だ。そんな私にとっては、とても意地悪な映画だ(笑)でも、面白い。ノア・バームバック監督、あなた性格悪いでしょう。きっとね。

ベン・スティラー扮する8年近く作品を撮れていないドキュメンタリー映画作家の夫と、ナオミ・ワッツ扮する父を名監督に持つ妻。そのマンネリ化した40代夫婦の前に、刺激もインスピレーションも停滞した彼らの前に現れた若いアーティストカップルのアダム・ドライバーとアマンダ・セイフライド。特に、この作品のアダム・ドライバーは絶妙に素晴らしい。こういう若手クリエイターいそう!というツボを押さえている。この2人とつるみ、若返ったと勘違いしたかのように、ウキウキしている彼らがどことなく、というか、思い切り痛々しい(笑)特に、ナオミ・ワッツのへたくそノリノリヒップホップは爆笑!

そんなアラフォー夫婦の、もがきが痛々しくも、笑いつつ、でも段々と身につまされて、笑えなくなってくる。時にグサっとくる。あれ、これって誰かに似ていないだろうか?

そうか、もう、あの頃には、戻れないんだ。

はい、わたくし、もう、アダルトです。

今日、表参道で、ヨガしました。

家に帰って、ふと、スタジオのInstagramに、どこかで見かけたアラフォーの男が映っていました。誰?

ワタシでした、、、笑

映画界には、年齢、止まっている人、沢山います。

77歳の大御所撮影監督が怒鳴り散らしていました。

怒られていたのは、55歳の現場プロデューサーでした。

まるで、20代新人のように、しゅんとしていました。

他の業界だったら、部長さんくらいかな?

でも、現場で歯を食いしばっているあの方、格好悪いと思いません。

その後、30歳年下との助監督と、対等にマジで意見を闘わせてるその姿、年齢差なんて感じません。

それは美しいのか、心揺さぶるのか、愛はあるのか。それだけ。

年齢を突き破って生きている人、年齢に縛られている人。

人目を気にする人、息苦しい人、アラサー、アラフォー、アラフィフ、

枠組み、固定観念、世代論、ああ、つまらない。

映画の話に戻ります 笑

世代を描いた映画のようにも見えるけど、純粋主義者も成功主義者も、その人の持った性格であり、それは100年前も変わらないだろうと思う。それを一括りにして、「私たちの頃は」とか「今の若い奴らは」とか世代に分けて言っているのは、あまりに紋きりでつまらないことと思う。ぐるりぐるりと世代を超えて繰り返している、NewGenerationへの嫉妬と思考停止の言い訳に過ぎない。

今、20歳の人。今、40歳の人。40年経ったら、60歳の人、80歳の人になるだけ。今10代の人も、50代。そんな変わりある?

そこで、私の好きなサムエル・ウルマンの「青春」という詩を記します。

青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方をいう。

バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき はじめて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも我にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。

人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ悲嘆の氷にとざされるとき20歳だろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり、80歳であろうと人は青春の中にいる。

詩 終わり

世の中には、ウディ・アレンという80近くになって、絶世の美女を自在に動かし、この作品以上に、ウィットと毒をもった鋭い感受性に溢れた映画を作る人がいる。

年齢を理由に言い訳をすることは、自分の人生を余計につまらなくするだけ。もういいかげん、年齢を超越して、人生を楽しもう。