大石航平

メイズ・ランナーの大石航平のレビュー・感想・評価

メイズ・ランナー(2013年製作の映画)
3.2
《どんな人におすすめか》
この映画はアクションシーンは素晴らしいとはいえないが突出して欠落しているわけでもない。アクション映画を求めている人には物足りない。SF映画っぽいが本格SFを観る人にも物足りないであろう。つまり中途半端な映画であると私は感じた。それよりも「映画それ自体が視聴者に何を伝えたいのか?」という観点で映画を観たい人にはお勧めです。

----------- !以下ネタバレ!--------------










【ストーリー】
地球に”太陽”が極度に接近したため、人類は体が焼け、”太陽フレア”によってワクチンが発見されていない”謎のウイルス”に侵されるなど、甚大な影響を受けていた。そんななかでウイルスに侵されない強靭な肉体と精神を持つ少年達が発見される。そこで科学者達はその謎を解き明かそうと人体実験を始める。

目を開けると1人の男は運転するリフトの中にいた。リフトが停止した場所は森が広がる「グレード」と呼ばれる場所であった。グレードは四方八方壁に囲まれ外に出ることができない。そこには月に一度科学者によって”生活物資”と記憶を失わせられた”少年”(といっても20代の青年)がリフトから送り込まれる。だからそこで暮らすことは充分に可能なのである。しかし壁の一箇所に出口へと通ずる”迷路”の入り口がある。そこに”ランナー”と呼ばれる走り屋が日没まで迷路の調査を行う。日に日に迷路の構造が変わることから3年経った今でも出口は見つからない。しかしその1人の男=トーマスが現れる事によって事態は急変していく。

まずトーマスは迷路の中にいる怪物を殺し、それが科学者によって造られたものだと発見する。科学者たちは少年達の危機的状況下での精神と肉体の向上を図るため、物資と少年の供給を断絶して迷路内の怪物を外に放出するように仕向ける。当然少年達の多くはこうした危機を脱するために迷路へと入り出口を探すことになる。怪物内に入っていた科学者たちが埋め込んだ、カプセルのようなものを手掛かりに少年達はようやく出口を発見し、外に出ることに成功する。

外に出るとそこには研究所があったが科学者達は殺されていた。しかしモニターに所長のような人が写りこみ計画の全貌が明かされる。少年達は科学者の計画(危機的な状況下に置かれることによる精神と肉体の向上)によって精神と肉体が強靭になり人類救出のために新たに動き出す... 2に続く。

----------------------------------------
【感想】

〔この映画が視聴者に伝えたいこと〕
主人公のトーマスは好奇心旺盛で挑戦家でもありみんなを救うために自らの命を捨てる覚悟をもつ人である。それに相対してグレードのリーダー的存在ギャリーは既存の体制を保持し変革する事に嫌悪感をもつ人である。
挑戦すること、つまり失敗をすることに恐怖をもつギャリーはグレードの少年達をいつまでも(3年)出口へ導く事ができなかった。しかしトーマスは失敗を恐れずに果敢に挑戦する事によって(3日で)出口へと導くことができた。
停滞することは失敗はないが成功もない。正しいと思った方向に挑戦するということは失敗(犠牲)もあるが、断じて突き進んでいくことが重要なのである。しかしなんでもかんでも挑戦するば良いというわけでもない。

あくまでもこの映画が伝えたいことは、『今、自分の立場に安穏して向上の心を失えば失敗はないし楽であろう。しかしそれだけの人生しか送れないし、また人々を幸福にすることもできない。それに対して今の自分の立場よりもう一歩前進しようという向上の気概を持つ人は、苦労が多く茨の道を歩むかもしれないが本当に人々を幸福に導くことができ、そして自ずと自分も幸福になっているのである』だと私は思います。

もう一つ。
メイズ・ランナー(THE MAZE RUNNER)
この映画のパッケージの謳い文句「生き残りたければ迷路から脱出しろ」つまり、幸福になりたければ悩みや苦悩という迷路から抜け出せという暗喩があるのではないかと思います。

ギャリーは悩みや苦悩に浸りきっていわば真の幸福を目指す気力を失った姿だといってよいであろう。それとは反対にトーマスは悩みや苦悩に打ちひしがれる事なく勇敢に戦い抜き勝利をつかんだ姿といってよい。

そしてこの映画には青年(20代)しか出てこない。つまりこの映画は青年に何かを伝えたいのかと思う。そこから『世界を変革するのは常に青年であり青年が良き方向へと導かなければない。その途中にギャリーのように嫉妬に狂った者が道を阻む事になるであろうがそれに打ち勝ち進まなければならない。そうして人々を幸福に導くのである。視聴者はギャリーのようになるのか。それともトーマスのようになるのか。はたまた傍観者になるのか。それは自分自身で決める事である』と読み取る事ができたが、考え過ぎであろうか。
大石航平

大石航平