ねこたす

ローマ環状線、めぐりゆく人生たちのねこたすのレビュー・感想・評価

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2013年度のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、しかもドキュメンタリーで受賞というこの作品。
なんとも不思議な作品。今まで見てきたドキュメンタリー作品とは似ても似つかない。
イタリアの映画祭でイタリアの作品、しかも審査員に坂本龍一って大丈夫かよ…という感じで鑑賞。
というわけで、以下に記すのはあくまで個人的な感想ということをおことわり。


物語冒頭、説明が入る。ローマの環状線「グランデ・ラッコルド・アヌラーレ」についてだ。ローマの街を大きく取り囲むように設置されている。このドキュメンタリーは、そんな環状線の周りに住む人々を題材にしている。
そして、その撮影の仕方がなんとも独特なのである。
人物が誰かという説明が皆無であり、ただただその暮らしが映し出される。ストーリーなんてものは存在しないし、雑なコラージュのように場面が変わっていく。
その中で、あいまに挿入され登場回数が多いのが、救急隊員である男性。環状線を救急車で走りながら、救助を行っていく。

一般的なドキュメンタリーは、その撮影者の影がどこかにある。それは対話であったり、カメラの移動だったり。そういったものが全く感じられない。どうやらこれは観察者の視点のようだ。
監督は撮影に2年をかけ、編集に8か月かかったそうだが、素材をひたすら集め要素を逆に排除していったのだろうか。

救急車で環状線を回る男性を狂言回しのポジションだとする。ぐるぐると様々な人々の暮らしを見せられる観客はこの男性に近いのかもしれない。

さて、なぜ監督は環状線をモチーフにドキュメンタリーを撮影しようと考えたのだろうか。
この映画には例えばローマと聞いて想像されるようなものは一切入っていない。コロッセオだったり、スペイン広場だったりローマの休日で描かれるようなものだ。
それは当たり前で、観光産業なんてものは街の中心地にあり、およそ市街の端っこにある環状線付近にあるはずもない。華々しいローマからすれば、彼らはアウトサイドの人間なのだ。
しかし、そこには彼らの一人称視点の生活・人生が存在する。

思い出すのは、バルセロナに留学していた時「スペインで思い浮かぶのは?」という質問に闘牛と答えると、それはステレオタイプだと反論された。カタルーニャは独立主義の立場から闘牛を禁止していたのだ。

日本人にも思い浮かぶことがあるのではないだろうか。
毎日寿司を食べるわけでもなく、相撲や侍やゲイシャでもなく、京都っぽい和式の家におよそ住んでいない。
これは外から見て憧れるような、そんなステレオタイプな視点に対する監督の戒めであり、挑戦だったのではないだろうか。
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