海

シャイニングの海のレビュー・感想・評価

シャイニング(1997年製作の映画)
-
わたしが個人的に読んでいて気が狂いそうになったのは今のところスティーブン・キングの小説『シャイニング』と長岡建蔵プロデュースのノベルゲーム『さよならを教えて』(R-18なので注意)の二作品だけだ。この二つについてわたしが見つけた共通点は「甘い恐怖」。不快感が募るほど、不安が煽られるほど、逃げ出すどころか縋り付きたくなる。良い恐怖は甘い味がする。 キングがキューブリック監督版『シャイニング』を現在に至るまで批判し続けているというのは有名な話だ。まず前提としてわたしは『シャイニング』の原作/映画版/ドラマ版の全部を心から愛していますが、キューブリックが撮った『シャイニング』は今でいう完全な「原作レイプ」を行っている作品であって、たとえ死ぬまで批判し続けたとしても原作者であるキングの憤りは治まらないんじゃないかと思っている。ジャック・トランスの下敷きにあるのは他でもないスティーブン・キング本人である、ホラー(とくにモダンホラー)作家には完全なバッドエンドより少しの希望の見える終わり方を好むひとが多いと思っているけど、その点でキングがキューブリック版映画に対し「ホラーの本質を理解していない」という批判をしたというのには考えさせられる。結末がどんなものであろうとも、そこに行き着くまでに起きた数々の出来事はそのひとの人間性に大きく関わってくる。ジャック・トランスの父親は家族に暴力を振るうような人間だったが、それがジャックの中には鍵穴として確かに存在しており、あとは鍵とタイミングさえ正しければ簡単に仕掛けを起こすことができてしまう。(またこれはウェンディも同じであり、彼女は母親にコンプレックスを抱えているが、本作ではそこはかなり端折られている)ホテルにより回された鍵。そこでジャックの中に呼び起こされたものは父親からそっくり受け継がれた残虐性だった。ジャックが自分でそれに怯えるようになってからも、ダニーは撫でさすり続けてくれる母親よりも、ときに厳しく自分を叱りつけ、もののはずみで手をあげるような父親こそを敬愛していた。それが何故かといえば、ジャックの狂気と正気の両方を司っているのはホテル自体でなくダニーの存在だったからだ。昔の過失を決して忘れさせてはもらえぬジャック、大人よりも物事を理解し先回りをし続けるダニー、二人はよく似ている。これは父と息子の物語なのである。《オーバールック》はダニーから父親を奪い、ジャックからも父親を奪った。親子三代に続こうとしていた呪いの(生きる父親による)解放、『シャイニング』はその物語なのである。このホテルに染み付いた様々な感情の残滓にジャックが刺したとどめ、ダニエル・アンソニー・トランスの「空想の友達」の正体、ディック・ハローランがダニーにおしえた「かがやき」の重要性。(この「かがやき」=「シャイニング」もおそらくキングの完全な創作話というわけではない)何よりも、ダニーが記憶すべき父親の姿を映さなかった映画版『シャイニング』にキングは憤ったのだろうと思う。
海