LalaーMukuーMerry

フューリーのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

フューリー(2014年製作の映画)
4.2
第二次大戦の末期、ヨーロッパ戦線で降伏直前のドイツに侵入して敵軍と戦う連合軍の兵士達、それも一台の戦車部隊5人の物語。
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最前線に置かれた兵士たちにとって、戦争の大義など全く関係ない、殺すか殺されるか、ただそれだけ。大局的には勝利目前といっても最前線では全く気を緩めてはいけない。殺すか殺されるかであることに何も変わりがない。そのことを思い知らされる。
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一人を失った部隊に、戦争に全く未経験の新人ノーマンがやって来た。捕まえたナチスSS(親衛隊)の男を撃ち殺せと命令する隊長(ブラッドピット)。それをかたくなに拒んだノーマンだったが、戦闘の経験を重ねるに従い、戦場のルールが分かってくる。殺すか殺されるか。やがて彼は仲間から「マシーン」と愛着を持って呼ばれるまでになる。敵兵を殺すことが当たり前であり仕方ないことだという、恐怖と隣り合わせの最前線の現実に圧倒される。
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占領した町で母娘だけ残された家庭に押し入るエピソードは複雑な思い抱かせる印象的なものだった。束の間の休息、自分たちは祈りによって神に救われたか? ヒトラーも神に救われるのか? 聖書を暗記したキリスト教信者なら誰でも持つだろう素朴な疑問をジョークで笑い飛ばす兵士達。平時の感覚を無くすことなく、しかし戦闘が始まれば平時の感覚を封じ込め、非情に振舞う隊長に寧ろカッコよさを感じてしまう。
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そのように感じる自分に気持ちが悪い。だから戦争は嫌なのだ。
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映画は70年も前が舞台だが、今でもこんな戦闘が世界のあちこちで起きていることも事実。ISを倒す大義はわかっていても、そんな大義とは無関係の、目の前の戦闘に置かれた兵士たちの現実。敵にも味方にも等しくふりかかる、殺すか殺されるかの現実。それを想像できるようになること。こういう戦争映画の意義はそこにあるのだろう。
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圧倒的な数の敵兵を相手に、孤立無援の一台の戦車で、自分たちを盾にして味方を守る作戦を自ら選んだ彼ら。激しい戦闘の末、ノーマンだけ生き残ることができたのは、一人の若いドイツ兵に平時の感覚が残っていたからだというアイロニー。いろいろ考えさせられる作品でした。
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ここから批判 
飛び交う銃弾の飛跡が光線として見える演出に、とても違和感があった。光線が雨あられのように降り注いでいた、湾岸戦争の時の衝撃映像が思い出されるが、あれは夜間攻撃の様子を赤外線カメラで撮影していたからだ。燃料を搭載したロケット弾やミサイルは燃焼の熱があるから夜間に赤外線カメラで撮影すると飛跡が残像として残るのだ。通常の銃弾や砲弾は決してレーザー光線のような飛跡は見えない。こういう風に見せないとリアリティを感じないのだとしたら、そのリアリティは間違っている。ゲームの弊害ですね。