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管制塔のざのネタバレレビュー・内容・結末

管制塔(2011年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

北海道での駈とみぃの二人の淡い恋に涙が出た。初めの講堂?での無邪気な感じの橋本愛がめちゃくちゃ可愛くて見惚れた。素敵な風景描写と、劇中歌もよかった。長すぎず、短すぎずちょうどいい尺でまとまっているストーリーもまた良さを感じた。この映画で一番初めに気づいたのが、音の取り方、映像の撮り方がきれいということだ。何気なく見逃してしまうシーンにこそ監督や技術さんの配慮だったり、意図が隠されているのではないかと私は思う。この映画での例を挙げると、どこか懐かしさを感じるチャイムの音。駈が登校して教室に着いてイヤフォンを外すシーン。それまではぼんやりと聞こえていただけのはずの朝の教室ならではの生徒たちの喧騒が、イヤフォンを外した途端にまるでその場にいるかのようにはっきりと聞こえるようになったこと。ほかにも、駈以外誰もいないはずの講堂で駈の前を飛んで行った紙飛行機。その紙飛行機が床に落ちるカサッという音。その音が講堂に響き渡る繊細さは、講堂に自分以外の人はいないはずという駈の驚きを暗示しているかのように聞こえた。このように音だけで観ているものに様々な想像をさせる。ひょっとしたら映画では当たり前なのかもしれないが、そこに音の効果が表れていると感じた。劇中歌の流れるタイミングや、山崎賢人のうまくはない感じもまたいい雰囲気を作り出していた。この映画では映画における音楽の重要性であったり、繊細さを垣間見ることができた気がした。また北海道だからなのか、映像もとてもきれい。みぃが窓の外をぼんやりと眺めていた。初めは春、夏だったからだろうか、何気なく写った窓の外。風車が見えていたものが、後では一面の銀世界が映し出されていた。そんな日常的な風景でさえ美しく写っていた。そんな一面の銀世界が、二人の淡い恋の「淡い」という部分を引き立てているかのように感じた。「淡い」ということで言えば、この映画では様々なところで淡い映像が使われていた。みぃが駈の母親から食事に誘われたシーン。みぃから見た駈の家族はとても淡く、暖かい色で写されていた。ここでは家庭環境では恵まれているとはいえなかったみぃが感じた家族の温かさ、家庭のぬくもりが如実に表現されているようで心が痛んだ。また、展望台のある丘上から背景に映った奥のほうのぼんやりとした街並み。これからの二人の予想のつかない、もしかした良い方向には進まないかもといった未来を示す伏線であったかのように感じずにはいられない。それ以外にも、この映画では何度か別れをにおわせる伏線が張られていた気がした。駈とみぃの立場からすると予想のつかなかった別れだが、ストーリー上は避けては通れない別れがセリフに描写されているようで観ていてとても切なかった。「ずっとここにいればいい」という駈の言葉に対しての回答、帰りのバスで強調した「また明日」の中の明日という言葉、締め切りはまだまだなのにみぃがデモテープをせかしたこと。様々なセリフや言動の一つ一つすべてが布石だったのではと思わされてならない結末だった。特に印象に残っている別れを感じさせられたセリフは、みぃがいつも言う「君ならできるよ」という言葉に初めて駈が「みぃとなら」といったこと。近づいた二人の距離感や別れたくなさがはっきりと写されていた。そしてよくある「転校」という形での別れ。雪の中をみぃの家に走る駈の姿が青春そのもので涙が止まらなかった。「管制塔」の楽譜のはじに書かれた「よくできました」の言葉。みぃから駈への最後のメッセージと、その後未来の場面でのラジオでのメッセージ。時を超えて、時間はかかったが返事を伝えたその切なさ、淡い恋に心が揺り動かされた。そのラジオをBGMに渋谷でみぃが振り返るシーンが脳裏に焼き付いた。最後にあらわされた、お互いどこにいるか何をしているかもわからなくても心はつながっていると暗示するかのような感情描写がなにより素敵。終始さまざまな思いを馳せずにはいられない淡く切ない恋愛映画だった。もう一度観たい。
ざ