小松屋たから

ルック・オブ・サイレンスの小松屋たからのレビュー・感想・評価

ルック・オブ・サイレンス(2014年製作の映画)
3.9
1960年代のインドネシアで起きた一般市民虐殺事件を取り扱ったドキュメンタリー「アクト・オブ・キリング」の兄弟編。

前作は虐殺を行った実行犯たちがその再現映画制作に参加する過程において、心情が変化していく様を、あくまで真摯に、しかし、時にはコミカルにも見える映像で描いた異色の傑作だった。

本編では、惨殺された兄を持つアディという男性が、より粛々とインタビューを進めていく。今も、周囲に住む権力者たちに静かに、しかし、容赦なく、当時の様子を尋ねていくのだ。主な会う口実が「メガネの矯正」。もちろん、真実を良く見て、という皮肉を含んでいるのだろうが、かなりの胆力が必要だろう。怖くないはずがない。

しかし、嬉々として応じる取材対象の様子や、過去は忘れろ、という親類の忠告を、ほぼ、表情を変えること無く訊く、アディの姿は印象的だった。怒りを秘めているようでもあり、あきらめを感じているようでもあり、冷静な裁判官のようでもあり。

陰影を使った優れた撮影・照明・編集技術に印象操作されている部分は確かにあるだろうが、アディVS対象者は、高貴な宗教者と俗人の対話の連続のようであり、かつての殺人者たちの言い逃れや、責任転嫁の醜さを世界に晒す内容になっていた。

最近、日本で話題の映画「主戦場」は、取材内容を先方に告げた上で、インタビューに参加してもらっているが、こちらは、かなり不意打ちだ。その手段の是非はともかく、だから、回答者の戸惑い、苦悩、怒りがはっきりと顔に現れていた。

人間の品格は顔に出る、ということが、この作品をみるとより確信できる。それだけは、複数のカメラで、プロだけが知る特殊な角度から、ある照明の下で撮ったものを、悪意を持ってうまく切り取られた・・とあとから言っても仕方がない。それは事実の一端かもしれないが、あの言葉を口から出したのはあなた自身なのだ、ということは動かせないのだから。表現の自由に対する無防備さと知見の浅さは同義である。

本作もまた、証言者の無防備さを突いた作品ではあるが、監督、インタビュアーやその家族に明らかに生命の危険があることが、作品の緊張感と質を高めており、アンフェアであっても誰かがやらなければならないことなのだ、という彼らの覚悟、使命感には頭を垂れるしかない。