Habby中野

夏をゆく人々のHabby中野のネタバレレビュー・内容・結末

夏をゆく人々(2014年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

なかなか的を得た邦題だと思う。夏はいつもぼくらの上を通り過ぎていくけれど、それは自分という個人的存在を固定化した時の話。夏から見れば、人々と時間がその下を通過している。
洞窟で眠る少年と少女。その上を、静かに遊びまわる影絵のような姿は、昔描かれた壁画に似ている。そう、これは我々が見た物語ではなく、歴史が見た我々の物語。

「家には何か秘密を隠しておくべきよ」
「タイルの下とか」
「遠い将来にその秘密を 誰かが見つける」

過ぎ去っていく時間の下で、土地ー家族ー生活、地球にへばりついて生きる人間。その姿は遠くから見れば少し虚しく、近くで自分ごととして見れば騒がしく思い通りに行かず虚しい。
だが時間の過ぎ去ってきたいまここには、誰かの過去の秘密がある。いまここに生きているのは我々だけれども、ここにはずっと前から時間が流れている。我々はいま生きているだけだが、それは歴史の上を通り過ぎているということでもある。歴史は常に、ここにある。過ぎ去っていくのは、私たちだ。
少年は放火、盗難ー街を侵略し、略奪して支配してきた、人間の歴史。“問題”のある彼を、愛で抱きしめてはならない。娘を奴隷のように扱う父も、家族は大切だと知っている。
この足下には何がある?目の前には何がある?知覚を超えることはできないが、想像することはできる。虚しくなるほどの無限の宇宙、無限の時間。知っていたよ、「個」は「無」だということを。
我々が見てきたのは、いま本当に見ているのは、自分たちではなく、もっと大きな、“不思議の国”の物語だから。
「聞こえた?」
「幽霊よ幽霊!」
振り返れば、もう誰もいない。
でもまた、誰かが来る。
ぼくらに持ち得るものは、虚無か自由か。でき得ることは、受動か能動か。
ああ、虚し。
Habby中野

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