たかこねこ

Mommy/マミーのたかこねこのレビュー・感想・評価

Mommy/マミー(2014年製作の映画)
4.2
1.15 授業にて

『たかが世界の終わり』を鑑賞した時に感じた、ドランの持つ世界に対しての陰鬱な印象が後味悪く残っていたから、はじめは少し不安な気持ちで講義室の硬い椅子に座っていた。(フランス人ってみんなこんな風に怒鳴ったりヒステリックになったり互いに唾を飛ばして罵倒し合うのかな‥)と良くない偏見を抱きそうになりながらフランス映画では見慣れた暴力的なまでの口論シーンを見守っていたら、この親子の口論はひとつのコミュニケーションのかたちを取っていることがわかりホッとした。
しかし、物語が進むにつれてその口論も掴み合いの喧嘩も一時的な癇癪も総て「ああまたやってるよ笑」では済まされない、決定的な出来事へ繋がっていたことに気が付き、勝手に安心してお気楽な気分でいた自分が途端に恥ずかしくなった。みんなにとって『なんてことない』事象でも、誰かにとっては『重大な』事象になり得るって、そんなの分かりきっていることじゃあないか。

わたしはこの世の愛というものの大部分を信じていなくて特に恋人同士の間で交わされる揃いの指輪や誓われる愛の言葉ほど無価値なものはないとさえ思っている。
けれども、わたし個人の経験の中で、誰にも揺るがすことができず最も強く失われることのない愛というのはつまり母からの愛であり父からの愛であり祖母からの愛であると思うのだ。わたしが彼らを嫌悪し憎悪し裏切る未来が来たとしても、彼らはわたしを愛してくれると思う。それはまさしく紛れもない、無償の愛というもので。
別に家族愛が絶対だと主張したいのではない。家族とか血縁とかそういうものは信じていないし、わたしが愛されたように将来自分の子供に還元しよう、愛のある家庭を築こうなんて微塵も思っていないのだから。
けれども、ここで言いたいのは、そういうわたしの面倒くさい感情やら理屈やら世間やらそういうもの総てを無視して、母や父や祖母の、わたしに対する愛は優先されているということなのだ。
Mommyで述べられていた、愛とは、こういうもののことを言うのでは無いだろうか。総てに優先される愛、自己犠牲が素晴らしいのではなく対象を無償で愛するというその覚悟こそが愛の現れなのだ。
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