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テロ、ライブのotomisanのレビュー・感想・評価

テロ、ライブ(2013年製作の映画)
4.0
 SCNの顔、ユン・ヨンファの言葉なら市民の誰もが信じると思われてしまって、ラジオ局に島流し中のユンは、こうしたテロリストの思い違いをうまく捌いて見せれば、テレビ界にカムバックする絶好の機会だ、としか思い浮かんでないようだ。ところが、まるで自分、ユンに第四の権力が付託されているかのように見ていそうなテロリストとの認識のちぐはぐさをどのように整理したのだろう?

 昔々、スーパーマンは新聞記者で正義の人だったし、宣伝は国家の大臣管掌業務になるし、ラジオで火星人来襲を報じればそのドラマを真に受けた無視できない数の人のパニックを呼び起こし、よく乾いた草に手頃な火種を投じるようなマスコミの力を見せつけた。赤狩りが広がるのも収束するのもマスコミが一役買えば、バルカン半島でもアフリカでも敵対する者同士がラジオ局を設け相手の残虐行為を言い触らしては敵意を煽り火のないところにも煙を立てる。ニクソンの辞任を巡っては議会も司法も果たせない世論の喚起で大統領を追い詰める。韓国ではその大統領に謝罪せよと詰め寄るテロリストが代弁者としてユンを名指ししその人気の力を発揮するよう求める。

 テロリストは民選による大統領がユンの発言によって市民が大統領批判に傾き、それが大統領にも政党にも圧力となる事を大統領が予想し恐れる事を狙っている。しかし、これはプラハ事件や光州事件の頃のような放送局ぐるみで民主派やデモを支援した時代の事だろう。それでも、ワルシャワ軍や政府は弾圧に手心を加えなかった。
 テロリストはそうした事に気が付いていない。むしろ、無差別テロと名指されても仕方ない事態に足元を見られ、テロに屈しない政府の立場を強める方向に誘導されるのを牽制できない。これは、スタジオでユンを経由しての事態把握では分からない事で、世論戦は始めから大統領と、ユンを除いた放送事業者の側に主導権が保たれているのだ。

 テロリストの要求も理解できる内容で、テロ攻撃自体もかなり制御できていても不測の展開は全てテロリストに不利な状況をつくってしまう。そんな末に迎えた最悪のゼロ回答になにで応じるかは決まっていたのだろうが、誰もこれは予想できないだろう。
 監督は二つの高層ビルを景気付けで破壊するのではない。最後に放送ビルと共にユンが突入する先は国会議事堂である。監督はテロリストを用いて、不正義をはたらく行政の長も、それの監視も批判の汲み上げも牽制もできない議会も、その通りなら無用と断定し両者が会する議事堂の潰滅を望むのだ。
 2年前、世界首脳会議の議長国の大統領が先進国の仲間入りも間近な自国の威信のため橋の体裁を施した事で職人3人が死んだ。その大統領の非を直接問う事が叶わないなら、権力に連なり市民に隣接するユンを指名してテロ活動を通した訴えに寄り添わせるという。ふと旧統一教会に手が届かず、その周辺で関係のあった国会議員、市民にもより近い元首相に矛先を向けたテロリストの事を思い出している。