キョンシー/リゴル・モルティス 死後硬直のネタバレレビュー・内容・結末

「キョンシー/リゴル・モルティス 死後硬直」に投稿されたネタバレ・内容・結末

なんとか夢オチ回避しようと思考を巡らせた結果、
1,死んでいく最中に乗っ取ってきたお化けさんがマンションの記憶を持っていたため、都合のいい自分主人公で戦って死ねる走馬灯を見られた(この場合お化けさんは双子さんではないものとする)(また、検死さんは都合よくあのマンションの住人だったものとする)(そして結果的に夢オチ)
2,決戦でタバコの火が落ちるまでに戦いきれなかったため、改編が起きた

この二点になりますか?

キョンシーの原作を知らないためよくわからないのだけど、死者とは勝手なもので、自分に都合よく事実を曲解する。ていうタイプの死人が出てくる映画だったんでしょうか?
息子が腕時計かいてくれるくらい子供じゃないんだが…?と思ったし、守衛さんお部屋案内したときお昼食べてたって最初は言ってたのに、最後では寝ている…案内してもらってチップ渡した、てのも妄想なの?となると、


あーーーーー!!!!!!!
ここまでかいてわかったーーーーーー!!!!!!!!
夢オチは逆か!
だって最後方の入居シーンでもやっぱり腕時計かいてあるから!
ご遺体確認してくれた息子こそが偽物。。あんなおっきい子は腕時計書いてくれないし、今は別のお父さんと暮らしてる(電話してるのを咎めたのは男の声だった)んだわ。
キョンシーを倒せたといえ、タイムリミットに間に合わず死んでしまったけど、優しい嘘の死を手に入れたのであった。
~End~
でファイナルアンサー!!!!!!!!
(結局妄想死にENDやんか)
Amazon

終わり良ければ全て良しと言うが、この映画は終わりがダメだ。

ラストバトルも意味わからないが、まさかの夢オチ。

雰囲気&中盤までの展開は良かっただけに残念だ。


後、霊幻道士シリーズを見ておいたほうがより楽しめる。






おこわ不味そう
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<title:キョンシー>
<title: 殭屍>
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<気になった台詞>

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<好きなシーンや色や音声>
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<じぶんの感覚・考えが着地したこと



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現代版シリアスキョンシー

幽霊という別のファクターのせいでキョンシーの存在感が薄い。

中盤くらいまで注意して見ないとストーリーが理解しづらい。

香港映画アルアルですが、登場人物みんな似たような名前なので、名前と顔が一致しない。
なんとも言えない集合住宅と怪しい隣人ら。キョンシー対策詰めてる歴戦のオヤジとか好き。これもオープニング最高。何回も観た。オープニング。
ゆーて結局首吊って死ぬ間際の妄想オチっつう。なんの意味がある映画なんでしょうかねえ。
未体験のキョンシーモノということで楽しみに見たが…
まあなんというか、せっかく双子の霊だとか、おかしな親子とか、膨らませようのある伏線を張ってるんだからもう少しだけ世界観作りを頑張れば良いのに、と思った。

中身は「少林サッカーの監督がホラーを撮ったらこんな感じなのかな?」
落ちぶれた俳優の引っ越し先が事故物件でひどい目に遭う話。
かっこよくておぞましいポスターの期待を裏切らない怖さ。団地の廊下を傘の一行が通過するシーンの不穏さがとても良い。色数の少ない画も好み。道士の共闘は燃えるし人間と怨霊の肉弾戦も面白かったけど、登場時にはちゃんとピョンピョン跳ねてたキョンシーがバトルシーンになると制限なく動くのには興醒め。いくら双子が入ってるったって。
冒頭で元俳優が自殺しようとしたのは本人の意思ではなくて双子の呪い?道士が双子と戦っていたのはかわいそうな母子を助けようとしていたのか、それとも力試しだったのか?双子を封じ込める死体を手に入れるためにこれ幸いと奥さんの悲しみに付け込んだ?ラストのパラレルワールドも謎。
双子が「呪怨」の伽椰子みたいと思ったらプロデューサーが清水崇!どうりで。…さだかやとキョンシーを戦わせたかったのかな?
内容は知らずなんか低評価ってことだけを知りながらアマプラで観たんだけど個人的には映像や世界観が好きな作品だった。

昔のピョンピョン飛び跳ねるお茶目なキョンシーじゃないしストーリー自体終始陰鬱な感じだけどホラーとしては中々の出来で最後まで楽しめた。

ただやっぱり…、夢オチはね…。
「えっ?夢?死ぬ前の走馬灯?」ってポカンとしちゃう。

そこに来たばかりの奴が見るには壮大な走馬灯すぎん?面識ないのに各自のキャラ設定完璧すぎん?てか口にあんなジャラジャラしたもん付けられたキョンシーとかピョンピョンした時うるさすぎん?周囲に居所バレバレすぎん?てか子供の髪の色めっちゃオシャレすぎん?


あと昔から香港映画の茶碗の飯をカチャカチャとかっ食らうシーン好きです。
他の方が書いているのと同じで夢オチかーーーーーーい!!!!っていう…

夢オチさえなければ普通に面白いホラー映画だったのでは…なぜ夢オチにしたんだろ…?むしろ夢オチにした理由が知りたい
いわゆるリブートと思いきや全くそうではなかった。例えるなら西部劇、もといクリント・イーストウッドにおける「許されざる者」や「グラン・トリノ」のような性質をもった作品で、かつてサモ・ハン・キンポー製作の「霊幻道士」の大ヒットにより一大ムーブメントとなったキョンシー、国内外での人気から無数の亜流作品を生みだし、今日に至っては衰退の一途を辿ってきた「キョンシー映画」に対しての鎮魂歌というか、最後の夢というのをやりたかった作品なのだろう。それが上手く出来ているかは別として、そういう意匠があるのに違いはない。
従って本作はキョンシー映画に対するリテラシーがあればこそ、それなりには楽しめる要素もある作品、だとは思う。

キャストには霊幻道士シリーズにおなじみの顔ぶれを揃えており、往年のファンにとってはさぞ感涙ものであったろう。
主人公を演じるチン・シュウホウはシリーズ1作目に弟子役として出演していた俳優で、本作の役どころはなんと自身と同名の、それも落ちぶれたかつてのスター俳優という、現実をフィードバックさせたような設定になっている。
同様に本作には2人の対照的な道士が登場するのだが、彼らもまたシリーズで道士役を演じた俳優であり、それぞれが道士としての在り方やキョンシーという存在と対峙した過去にとらわれた人物として描かれるのも興味深い。

この映画のヴィジュアル面はとても素晴らしいと感じた。舞台となるマンションは生活感はおろか生気すら感じられない。
生の喪失に囚われた人々が集まって出来ている様な閉鎖的空間は、それ自体がただ事じゃないという予感を観る者に与える。
様々な怪奇現象や作中に登場するお化け、つまりキョンシーと双子の幽霊の、その禍々しい造形やトリッキーな動きなど、ちゃんと近代の映画に相応しい表現のアップデートが施されていて、これは理屈抜きに見応えがある。
旧シリーズとは対照的にコミカルな要素を排し、血生臭いバイオレンスを際立たせたのは悪くないが、道士たちの繰り出す華麗な技や術式の数々、などの描写はどうしてもシリアスに見るには滑稽で違和感がある。これはそういったニュアンスをいち早く嗅ぎ取り、コミカルに転化させたオリジナル製作者たちの才覚をこそ褒めるべきだろう。


この映画の最も重要な問題として、困ったことに本作はストーリーテリングに関しては非常に宜しくない。はっきり言ってめちゃくちゃだと思う。
何というか、会話がいまいち成立していないというのがニュアンスとしてしっくりくる。ひいてはそれが物語全体にまで及び、やがては物語自体の成立をすら危ういものにしている。
ひとつのシークエンスがあるとする、一連の流れがあって、それが何らかの形でひと段落したところでそのシークエンスは閉じられ、そして次のシークエンスへと移ってゆく。この連続こそが映像における物語の構造であるが、表現によってはそこに分断や省略を意図的に入れる事もあるだろう。端的でスマートな表現とはそういう部分にセンスを感じられるものだ。
本作におけるそれは、そのシークエンス自体に寸足らずな問題や欠落を孕んだまま、場面は次々にと移り変わり、その度に新たな疑問を増加し続けながら進行してゆくのだ。とにかく鑑賞中、頭の中には「?」が常に点灯し続け、それが飽和してゆくに従ってだんだんとどうでも良くなってくる。
え?いま何が起こったの?え?いまこの人死んだの?最終決戦は結局なんで勝てたの?という次第である。
双子の幽霊はキョンシー以上のインパクトのある存在感だが、それ自体が問題だし、物語上の関連性、必然性が感じられないように思う。死霊に憑りつかれたマンションと否応なく「死」に引き寄せられる住人たち。失われたキョンシーの復活とかつての道士たちとの顛末。これらは別個の物語だし、どっちかに絞るべきだったと思う。

結末が暗示した通り本作がいわゆる夢オチであるならば、或いは意図的に支離滅裂感や不合理感を狙ってやったという事もあるのかもしれないが、だとしても映画という媒体に再構築するにあたって、テーマ性や象徴的意味性と剥離したような不合理をそのままごろっと出してくるのはもはや表現とは呼べない。

逆に良かったのはマンションの住人、パウ・ヘイチン演じる老女ムイが死んだ亭主の周りをぐるぐると歩き回りながら、滔々と涙ながらに話しかけるシーン、いつも文句ばかり言う亭主が何も言わないので自分が代わりに文句を言う、この夫婦ならではの絆が端的に感じられるし、それが失われてしまった哀しみがヘイチンの熱演と相俟ってグッと伝わってくる。


元のタイトルは「リゴル・モルティス/死後硬直」