LalaーMukuーMerry

グッド・ライ いちばん優しい嘘のLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

4.4
いろいろと心が痛む作品でした。 
グッド・ライが直接意味することがらにも。

アフリカの難民救済の善意のプログラム、それ自体は良いことなのだろうけれど、彼らをアメリカで労働者に組み入れるということや、兄弟姉妹を勝手な都合でバラバラにすることが、余りにも大きな生活環境の変化と、全く違う価値観を考えると、本当に彼らのためになっているのかという疑問…

でも、ここでは次のエピソードについて

スーパーで働きはじめた彼に、余った食料品を貧しい人にあげることは悪いことだ、という論理を教えるのは難しい。むしろそれは間違っているという彼らの主張の方が正しいと思う。すごく心に刺さった。あれは、よくある資本主義の経営者の論理だと思う。経営者の論理ということは資本家・投資家の論理。株をやって投資家の端くれになっている人は人口の10%程度らしいから(日本では)、10%程度の人たちの価値観をみんなは受け入れているということなんですね。でもやはりおかしい。変えていくべきです。

最近のスーパーに行くと、時々私は呆然とすることがあるのです。昔は店の規模はずっと小さかったな。こんなに沢山の生鮮食料品、毎日すべて売りきれているのだろうか? 余ったものはどれくらいあるのだろう? 捨てるものを大量に出しておきながら、一方ではあの魚もこの魚も獲れなくなったといって大騒ぎするのは、おかしいんじゃないか? 私たちが食べるのをちょっと我慢して昔の食生活に一部もどせばいいだけなのでは。生産者も販売者もどこまでも消費者の欲望に合わせる必要もないし、欲望を掻き立てるコマーシャルを流す必要もない。人間の欲望の犠牲になっている生き物を何とも思わないのかな? 自然保護を声高に主張しながらこのありさまはどういうことなんだろう?

生きるということは食べるということ。食べるということは、ほかの命を殺すということ。身の丈に合った量をはるかに超えた「商品」を扱うようになると、素朴な他の命への感謝の気持ちを忘れてしまう。

経済上のインセンティブを次々と与えられて(自分で選択したことになっているけれど)、今の生活は少しづつ形作られてきた。グローバル化する資本主義の悪魔と、これから私たちは上手に賢くつき合っていく必要があります。悲観的になりがちだけど、きっとできることはあると思いたい。