海

海街diaryの海のレビュー・感想・評価

海街diary(2015年製作の映画)
-
一年草という言葉は、一年中咲く花のことじゃなく、一年をかけて咲いて、そして枯れていく花のことを、呼んでる。海という漢字は、流れる水と母で成り立っていて、海は、わたしたちがそこに居ないあいだもずっと、一回も一瞬も止まることなく、ただ波を運んでいる。美しいものは、まるで祈りのようにそこにある。だったら命は、愛するひとに大切な何かを託し、残すための、儀式なのかもしれない。ひとはなぜ、別れの時に手を振るんだろうね。小さくあげた手、振れなかった手、大きく何度も振り続けた手。永遠はどこにもない。ただ、永遠を願う心が、わたしたちにあるだけだ。

少しわたしの話。母と妹と3人だけの生活を始めてから、この夏で14年が過ぎます。昼すぎ、映画を観終わって、母が買ってきたたくあんを切った。母は生まれ育ちが九州だから、食材を買うときはいつでも「九州産だから美味しい」と言い張って、九州のものを選ぶ。熊本の、海のすごく近くで育ったわたしの母。月の浮かぶ海の景色を車窓から見たとき、子供ができて、女の子だったら、この名前にしようって、そのとき、わたしの名前はすでに、決まっていたらしい。わたしにも、小さなころに見てからずっと忘れられない一つの海があって、もしも子供をうむことがあったなら、その子が女の子だったら、この名前にしようって決めてる名前が、一つある。何となく捨てられないままでいる古いお箸。成人式の日に着たお下がりの立派な着物。貝殻を拾った島の海岸。見たことなんてないのに、いつも見たことある気がしてた、ママの語る思い出話。「ずっと一緒にいようね」が言えなくて、何度も言いかえた、「ここにいていいんだよ」は、いまもこれからもずっと、誰のどんな言葉で飾り直しても、あれ以上に美しくはならない。あなたを抱きしめて、離して、そしてまた、抱きしめる。何度も。ここにいるあいだの、ずっと。一度出会ったら、ひとはひとをうしなわない。あなたがわたしの中に居るから、わたしは、わたしのままで生きていける。

わたしが大人になるまでの人生を、作品として存在する物語でたとえろと言われたら、本作『海街diary』と、"愛、ドライブ"的『パリ、テキサス』、それから江國香織さんの小説『神様のボート』、この3作だと今は思ってる。だから、わたしにとって、すごく大切な映画です。
海