曇天

虐殺器官の曇天のレビュー・感想・評価

虐殺器官(2015年製作の映画)
4.0
原作に感銘を受け、アニメ化にも期待し、首を長くして待った後に鑑賞。時間がなく未だにこの著者を咀嚼し切れていないが現状での覚書を。

原作は純粋な魅力に満ちている。エンターテイメントの中で勉強できれば得した気分になれるし、示唆に富んでいて刺激的。主人公は暗殺部隊のエリートで、彼の信じていた世界は覆り、順繰りに希望が引っこ抜かれていく。ある意味で世界を斜めに見たがる少年にとっての麻薬のような読み物だった。作品で示したのは管理社会の袋小路、順応による感情の欠落、軍需産業の行き着く悲惨な未来予想。
フィクション的ガジェットを用いて諜報の世界を扱った話ではあるが、改めて見返すとごく日常的で単純明快な問題意識を示していた。SFなのに現実に近すぎる、という凄みは映像になっても変わっていない。


映像化で少なからず否定的な批評も見られた。公開からも大分経ってるので部門ごとに原作との違いを追ってみる。
原作の文章は思弁的でほとんど全章に過去の回想が入る。思弁の主軸となる「母親の死への罪悪感」のくだりが映画では全カット。これはもう媒体の性質上仕方ないというか。あの自傷気味でナイーブな文体が読めない代わりに、主人公が人間的感情から乖離していく様を観客にわかり易く描いている。「感情調整」が効いていることを示す意味では設定上アリなんだけど、原作ではどのジョークも嘲笑の意味が付随してて主人公がちゃんと皮肉を理解していたことがわかる。その権化が「母親」設定であるなら抜くしかないのもわかるが、それを打ち明けたことでルツィアへの信頼が深まったのであって好意の工程が云々…。

アレックスの死に方が自殺だったのが、任務中に意識が混濁して国防大臣を殺害した後クラヴィスに射殺される、に変更。これも原作の思弁に関わってて「死の行軍」と同様度々言及される。端的には兵士が兵士をやめたくても辞められない状況を示す事象が「自殺」だったが、死の原因が感情調整過程の不備になり、会議中のCIAを糾弾する内容に影響している。映画でもPTSDと言っているがPTSDを憂うなら自殺の方がいいし、何より「地獄は頭の中にある」の台詞が完全に形骸化した。まあ感情調整推しだからこの振り方なんだろう。主人公が殺す方が掴みのインパクトはある。

原作好きが期待したものが削がれた分、配置換えが上手い部分もある。
アレックスを殺したシーン、感情適応「フラット」の報告の後でタイトル表示。それは後半の、原作にもあるジョン・ポールの台詞と対になってて感情調整機能の功罪がより強調されている。他にも、原作ではジョン・ポールが語る黒人奴隷の例証をルツィアが語る。その後にジョン・ポールと話す時にルツィアが思い出されるように内容を繋げている(ここでは「生得的」という単語)。伏線提示と伏線回収で理解を助けている。

他の細かな変更点はまあ中途半端な所もあり、演出的に納得できる所もあり。冒頭のスマホで言語を選ぶカットなど。

『ウォッチメン』では逃れようのない冷戦にフィクションで最終解決を図ったが、911以後の世界で解決策を見出したのが『虐殺器官』だと思ってる。どちらも行き着く先はディストピアで、そうならないために常に現実で考え続けなければならなくて、作品は全編通して思考停止することを警告している。その意義を周知する意味で映画化は単純に有意義だった。

さて批判の多かった、そのジョン・ポールの最終解決の後にやってきた筈の「厄災」の描写については、個人的には最終解決が明かされた時点で話は終わってると思ってるので、『ハーモニー』への連結もしくは虐殺の文法の元となった黒沢清の『CURE』オマージュくらいにしか捉えていません。描写で十分撒き散らしてるように見えます。『ウォッチメン』と同じく観客に委ねて欲しかったけど。それより、今回主役2人が観る『プライベート・ライアン』冒頭15分をアメフト中継という馬鹿っぽさへシフトした点は、無為な平和な世界を象徴するのにはかなり適しているように見えて、少しくらい褒められてもいいと思った。まあ本書関連書籍の展示と一緒に『プライベート・ライアン』を流しまくるラーメン屋があるくらいにはアイデンティティーではあるけれど。後読み直してみたら、著者自身のシネフィルの使命感なのか、登場映画タイトル多過ぎな。その一個という見方も。

漫画版には母親設定があるようだった。虐殺は終了したみたいだがハーモニーはまだ連載中。果てはパク・チャヌク…ハリウッド…? いつ終わるんだProject Itoh。
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