Gewalt

百円の恋のGewaltのレビュー・感想・評価

百円の恋(2014年製作の映画)
4.6
人生の全てがドン詰まり、何もかもを捨てて生きていた一人の女が、ただ一度の勝負の舞台での勝利を痛ましいまでに希求する。

実家に寄生し自堕落に日々を過ごしていた主人公一子は、家族との衝突を機に家を出て一人で暮らしていく。一子が働く百円ショップの帰り道にあるボクシングジムに狩野というボクサーがいた。一子は日々彼の姿を見ていたがある日狩野は一子が働く百円ショップにやってくる。彼と会う機会が増える中ある日一子は狩野の試合のチケットを渡される。一子は狩野とボクシングへの関心を強めていきやがてボクシングを始めることになる。題名からは想像もつかないが実はこれボクシングがメインの映画である。

一子の人生は明らかにドン詰まりなのだが、それを殊更強調するように、一子の周囲の人々もドン詰まりである。仕事に追い詰められ心を病んだ店長、やがて最悪の行為に手を染める醜悪としか言いようのない同僚野間、陰謀論に染まり店の廃棄物を盗み出そうとする中年の女性、最初の店長に代わって本部からやってくるもやはり仕事に追い詰められる新店長……。
画面に現れる人物はみな人生の底にある。一子も例外ではない。しかし彼女と周囲の人々を分けるものがやがて現れる。ボクシングだ。
映画内で明示されることはないが、おそらく一子は「負け」続けの人生だったのだろう。「負け」が続いたことで「負け」の果ての底にいることに何の抵抗も感じなくなってしまったのではなかろうか。そんな一子が出会ったのがボクシングだった。真向からぶつかり合い勝負の後には憎しみを残さない。「負け」に沈みつづけた彼女にとって、もう一度「勝ち」を目指せる場所がどれほど魅力的に見えただろうか。
映画のクライマックスで一子は、余りにも痛ましい姿を我々に見せながら「勝ち」を目指す。ここで負ければまた自分は底に戻る、だから絶対に勝たなければいけない。そんな悲愴な決意を映像の全てが伝える。自らの尊厳のためにリングに立つというまさに「ロッキー」を正統に受け継いだ名場面だと言えるだろう。

映像にもこだわりを感じる。長回しメインの撮影は俳優たちの好演の数々を殺すことなく我々に見せてくれる。夜の街を自転車で移動する一子やクライマックスの試合の入場シーンは特に素晴らしい。

敢えてここまで言及してこなかったが、この映画を最も強く牽引しているのが主演の安藤サクラであることは見る者全てが感じることだろう。序盤の堕落しきった姿と終盤のボクサーとなった姿の変貌ぶりは役作りへの執念を感じる。また、長く人と接してこなかったことから来ているであろう、動作や対人折衝のぎこちなさや、要所要所での激情の発露の表現力は一子という人物の存在を本物にしている。
だが誰もが驚嘆するのはクライマックスの試合のシーンだろう。体当たりの演技や熱演といった月並みな言葉では到底組み尽くせるとは思えない。そこには確かに一子という自らの人生を背負った一人の女性がいた。痛みに全身を晒し悲惨なまでに「勝ち」を求めて戦う女がいた。

私にとっては、安藤サクラが同時代における世界最高の女優の一人であることは疑いようがない。安藤サクラの演技を称賛するための言葉がこの世界には不足している。
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