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はじまりのうた(2013年製作の映画)
4.2
 机に置かれた飲みかけのウィスキーの瓶、NYの狭小アパートの一室、ベッドでいっぱいになった部屋ではタンクトップ姿のダン(マーク・ラファロ)が泥酔して眠っている。空調設備もなく、ニューヨークの真夏のうだるような暑さの中、ようやく起きた男は外階段の踊り場で煙草を吸う。髭を剃ろうと洗面台に立った男だったが、いつの間にかやる気をなくし、再びベッドの中へ。その幸福をかき消すように1本の電話が鳴る。男は突然神妙な様子でドアを閉め、愛車のJAGUAR MARK Xへ乗り込む。カー・ステレオでは1枚ずつ素人の売り込み音源を聴きながら、「光る何かをくれ、多くは望まない」と呟く男はこの5年間、レコード・ヒットを出していない。やがて学校の前に停まり、娘のバイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)を拾い、その足でレコード会社へ。共同経営者であるサウル(モス・デフ)の会議に参加した男はオーディオ・コメンタリーの収録の話で揉め、サウルにクビを宣告される。娘が見ている前で受けた赤っ恥。怒り心頭の男はインテリアに八つ当たりし、その場を立ち去る。娘の大胆な格好にイチャモンをつける男は、逆に元妻であるミリアム(キャサリン・キーナー)から私の教育方針に文句を言うのと言い返される。両親の不和を二階のベッドで聞くことになるバイオレットの描写は『シング・ストリート 未来へのうた』と同工異曲の要素を呈す。自暴自棄になったダンはふらっと入ったBARでバーボンを飲みながらグレタ(キーラ・ナイトレイ)の歌を聴き、雷に打たれたような衝撃を受ける。

 失意のどん底にある年増男、最愛の彼氏にフラれて失意の女性とは、1曲の歌を媒介にある日突然出会ってしまう。お世辞にも決して上手いとは言えないキーラ・ナイトレイの歌声だが、バーボンですっかり酔い潰れた男には彼女の歌声を下支えするフル・バンドの幻影が見える。「君と契約したい、これが運命だ」とグレタは熱烈なアピールを受けるが、酔い潰れたダンの容姿に女の疑念が拭えない様子は、『ONCE ダブリンの街角で』のグレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァの出会いの場面と同工異曲の様相を呈す。このようにジョン・カーニーの映画は全てが円環状に繋がっている。その中心に来るのは「音楽への熱い情熱」である。BARを出た後、もう一軒はしごし、あと1日だけ滞在を延ばしてくれと言った男の言葉にグレタは満更でもない様子を見せる。1年前のイギリス、恋人デイヴ(アダム・レヴィーン)と共同で作曲した『LOST STARS』がとんとん拍子で映画の主題歌に決定したカップルはイギリスから一路、ニューヨークへとやって来る。調子の良い大物プロデューサーにデイヴとの間柄を聞かれたグレタは思わず、彼の伴奏者としての姿にセルフ・プロデュースしてしまう。それから先はスタジオの給仕のような惨めな役柄をこなしたグレタは結局、人一倍野心の強い女ミムにデイヴを寝取られる。彼女の唯一の味方で親友のような存在であるスティーヴ(ジェームズ・コーデン)がグレタとダンを運命の出会いへと導く様子が心底心地良い。

 ジョン・カーニーの映画ではいつだって肉体関係抜きでも、男と女が音楽への熱い情熱だけで最高の夢追い人同士になれる。互いに脛に傷持つプロデューサーと新進気鋭のシンガーは音楽の夢で心を通わせ合い、成功を目指すその1点で強く惹かれ合う。『ONCE ダブリンの街角で』で思わず涙腺が緩む名場面と評したマルケタ・イルグロヴァがウォークマンにイヤホンを差して、ダブリンの夜の街を彷徨い歩く姿がここでは、グレタとダンが2股の配線で互いに影響を受けた曲を聴き合う場面にパワー・アップしている。ダンはヘッド・フォンを装着し、対するグレタはイヤフォンを付けてNYの夜の街を彷徨い歩きながら、互いの傷や野望を確認し合う。ここでのグレタの満ち足りた幸福そうな表情から一転して、再びニューヨークに戻ったデイヴが録音した『LOST STARS』を聴く場面の落差とが残酷で容赦ない。グレタはレーベル・オーナーであるサウルに対しても、元カレであるデイヴに対しても、真の芸術家としての自身の立ち位置を決して崩そうとはしない。しかし自分の才能を認め、メンバーの勧誘やゲリラ録音のお膳立てをしてくれたダンの優しい思いに報いようと、彼女はダン一家の再生計画に愚直なまでに向き合う。ダンがベースで、バイオレットがハウリング気味のストラトキャスター風のギターをかき鳴らす様子の筆舌に尽くしがたい素晴らしさに何度観ても涙ぐむ。自分の心の欠けた部分を埋めてもらったヒロインのホスピタリティは、自己ではなく自他への思いやりに満ち溢れる。クライマックス場面はやはり何度観ても泣けて泣けて仕方ない2000年代屈指の涙腺が崩壊する名場面に違いない。
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