このレビューはネタバレを含みます
ラストシーンは意見の別れるところだろうが、そこは監督もそうなるように計算している。
つまり飛んだのか、死んだのか。
私は死んだと思う。
宙に浮くのも、物に触れずに自由自在に操れることも、幻覚だと作品の中で示している。
ご丁寧に空を飛び回り劇場へ行ったのも実はタクシーで移動しただけと明かされている。
それでラストシーンで窓から飛び出したら、今度だけは空を飛んだのか?
苦しんだ末、ついに奇跡が起きたのか? タイトルはその奇跡を意味しているのか?
奇跡とは、主人公がもがき苦しみ、ついに批評家の期待以上の演技を見せたこと、とも取れる。
役者としてのある境地に達したともとれる。
でもそんなの奇跡でもなんでもないし、そんなハッピーエンドは、ストーリーの大きなテーマから外れてしまう。
私は、主人公は死んだと思う。
では娘のあの空を追う視線はなんなのか?
それは娘も幻覚を見ているのだ。辛い現実から目を背けて、見たい現実だけを見る。
娘はヤク中でリバビリを受けている。
レイモンドカーヴァーはアル中でリバビリを受けていたが、主人公の娘はヤクの後遺症で幻覚を見たということで説明がつく。
この作品のミソは正にここにあって、主人公は苦悩から立ち上がり成功をつかんだというサクセスストーリーではないのだ。(と受け取った)
人は見たいものしか見ない。役者は見せたいものを見せようとする。だから役者は観客の見たいものと、自分が見せたいものの間で苦悶する。
こう書いてしまうと身も蓋もないが、『(役者)バカは死ななきゃ治らない!!!』(これ誉め言葉)ということか、、、
無知が起こす奇跡とは、批評家が主役に贈った言葉として描かれているが、実は隠れテーマとして、物語の流れからあっさりと主人公が空を飛んだと感じるであろう我々観客に向けられた言葉である。
無知だから奇跡が起きたと感じたのであり、よくよく考えればそれはあり得ないのだから奇跡は起きていないのだ。
観客を分け隔てる、なんともいやらしいタイトルだと思う。
観客をバカにしてる一方で、偉い監督や注目株の俳優にはセリフやストーリー展開で忖度していて、批評家を思い切り批判しているような体で、実は批評家達のプライドをくすぐり、見ていて良い気分ではなかった。
その観客のお陰でおまんま喰えてるんじゃねーの? と思う。