ペジオ

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のペジオのレビュー・感想・評価

4.2
擬似的なワンカット撮影が時間、舞台上と舞台裏、登場人物各々の主観、妄想と現実、映画自体のジャンル、その他様々な境界を越えていくのが快感で、まるで「主役」の様にカメラ自体が魔術的な存在感を放っている
およそ人間には不可能な視点の移動をしている訳だが、この映画の登場人物の中で一人だけそれが可能に思える人物(?)がいる
元々概念に過ぎなかった「彼」が人格を持ち、悪魔の様にマイケル・キートンを翻弄し、映画内世界(ほぼ劇場内)を見たいものだけを見るように動き回る(割と下ネタや下世話な部分が多く映るのも、カメラの動きの根底に興味や好奇心という知的生命体らしい動機があるように思った)

タイトルが登場人物の名前の場合、それは「主役」あるいは「映画内支配者」のそれである場合が多い
クライマックスにおけるキートンの選択が結果としてタイトルロールの人物を「殺した」のだとしたら、その後明確にカットが割られたのも意味深だ
(そこで映るアメコミヒーロー達の鎮魂の如き馬鹿騒ぎや海辺の生物の死体も含め)

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

あるいは……

この映画では「無知がもたらす予期せぬ奇跡」の方が結末としてキートンに訪れたが、あの選択が無ければ最後に立っていたのは「バードマン」の方だったのかもしれない
自らが生み出したバードマンを殺し乗り越えたキートンがさながら超人の如く生まれ変わる(見た目も含め)ラストは英雄譚に他ならない

主人公と怪物の闘いという典型的なヒーローの物語をやがて倒される怪物目線から見た映画として僕は観た
するとタイトルが黒あるいは白という単純な二元論的な結末を暗示しているのも根底に勧善懲悪の精神が宿った物語だからと思える
ならばこそのかつてアメコミヒーロー映画で一世を風靡したというキートンの設定が映画の構造的に何ともひねくれていて僕の性に合っていた
ペジオ

ペジオ