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きみはいい子のkmtnのネタバレレビュー・内容・結末

きみはいい子(2014年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

呉美保監督の作品は、そこのみにて光り輝くに続き2作目。
そこのみにて〜は正直、そこまで好きではなかった。
絶賛されるのも分かるし、とても良い映画なんだけど、私個人の精神状況が宜しくなかった為かな。とても疲れた。疲れた以外の感想が思い出せない。


あと、主要の登場人物に問題があると思う。
綾野剛、菅田将暉。2人とも連日CMでテレビよく見る2人。
どんなにシリアスなことを言っていても、「あー、CMでチャラケてる人ね?」と思ってしまう部分は少なからずあると思う。


今作は先に結論を言うと、個人的には邦画の歴史に残る素晴らしい作品だと思ったんだけど、
その理由として、普通の人が、普通に演技をしていることだと思う。
もちろんテレビでもよく見る尾野真千子や高良健吾も出ているけど、それ以上にこの作品の魅力を形成しているのは、
あまり有名じゃない(私が知らないだけかもしれないけど笑)普通の顔をした子役たち。
彼ら、彼女らのそのナチュラルな演技ひとつひとつが、馬鹿みたいに光り輝いている。
高良健吾が出した宿題の結果を発表する児童たちひとりひとりの声は、あぁ生きていくってこういうことだなって、切に思わされる。
小さな仕草や言葉で救われることっていくらでもある(姉の息子に「大丈夫、大丈夫」って言われるシーンとかね)。
この作品はそんな小さなことの積み重ねで出来上がっている。


この作品を理想主義的すぎるという人がいる。甘ったるい、ありふれた解決法を示しただけだとか、現実はもっとダークだとか。
確かにそう言う意見もよく分かるし、頭で分かってても上手くいかないことばかりなのが現実だ。
だけど、私は映画……というか物語全般についていつも思うことなんだけど、どんな形でも「希望」を示せないものに意味なんてないと思う。
ただただ暗い現実を描くだけなら、物語なんて必要ない。わざわざ物語にしなくても、生きていくってことはとても大変なことだからだ。


この映画を見て「現実はもっとハードだ!私はこんな映画じゃ救われない!」という人もいるだろう。そりゃそうだ。ひとりひとり違う人間だし、傷の深さだって異なる。
だけど救われる人もいるかもしれないと僕は思うんですよ。
この映画を見て、「今日、誰かを抱きしめてみよう」と思う人がいるかもしれない。その行為で、誰かを救えるかもしれない。 誰かが救われるかもしれない。


全ての打ちひしがれた人達には届かないかもしれない。
……もう一度言うけど、傷の深さは人によって異なる。抱きしめられるだけで、誰もが救われるわけはないのだ。
それでもきっと救われるかもしれない、誰かのためにこの映画は存在する。
久々に「あぁ、こういうものが観たくて、俺は映画を観るんだ」と思える映画でした。素晴らしい映画です。
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