らいち

きみはいい子のらいちのレビュー・感想・評価

きみはいい子(2014年製作の映画)
4.5
「子どもに優しくすれば、世界は平和になるのにね」―
そのセリフが突き刺さる。子どもは無垢であるゆえ、目の前の大人を真似る。大人が子どもに優しさを与えれば、子どもも他人に優しさを与えることを覚えるのだ。そして、その優しさを与え、分かち合うことができる手段が「ハグ」だ。ギュッと抱きしめられる感覚は、この映画そのものといって良いのではないか。

同監督の前作「そこのみにて~」が周りの評判とは裏腹にあまりハマらなかったため、あまり期待していなかったものの、本作を観終わって映画館で観られて良かったと真に思った。ヒューマンドラマの秀作であり、今年の日本映画を語るうえで欠かせぬ1本だ。

様々な問題を抱える大人と子どもを描いた群像劇だ。児童虐待、育児放棄、学級崩壊、モンスターペアレント、独居老人など、現代性を孕む社会問題を扱った内容で、物語は大きく3つに分けられる。子どもたちを相手に奮闘する小学校の新任教師の話、幼い我が子への虐待をやめることができない母親の話、認知症っぽいお婆ちゃんが近所の自閉症の子どもと触れ合う話、この3つだ。それぞれが独立した話として交互に進行するが、次第に明らかにされる3つの繋がりにハッとさせられる。本作ではその繋がりを描くのに、彼らを直接引き合わすことを避け、鑑賞者の想像に委ねる範囲に留めている。このあたりのセンスは日本映画ではあまり見受けられないタイプで、非常に巧い。

扱われる内容が多岐に渡る分、観る人の視点によって「どんな映画 なのか」という解釈も変わりそうだ。自分は大人と子どもの関係性に注目した。

子どもの集中力は凄い。ときに大人たちは彼らが何を考えているのか理解できなくなる。限られた環境と少ない経験のなかで個性が育まれるため、社会の中で活きるための人格形成は不完全だ。視野が狭く、周りに十分な思いやりを注ぐことができない。大人たちが子どもたちの視点に立って、理解を得ようと腐心してもコントロールできないのも無理はない。「何が良くて、何が悪いのか」、子どもたちに分別をつけさせるためにとられるのが体罰。自分の小学校時代を思い出す。教室内で友人とふざけて、屋外での課外授業の集合時間に遅れると、担任の先生に容赦なくビンタされ、ときに投げ飛ばされた。悪いことをしたという事実を恐怖と痛みで知るわけだ。「それはないだろ?」と先生を恨むこともあったけれど、それ以上に熱心に自分たちに向き合い愛情を注いでくれた先生を今でも敬愛している。しかし、いつの間にか時代は変わったようで、先生は子どもたちを男女区別なく「~さん」と呼び、子どもたちと適度な距離感をとることを忘れない。想定される多くのリスクを回避するためだ。子どもたちは今も昔も変わっていない。変わっているのは大人のほうかもしれない。

高良健吾演じる、新米教師は現代的に描かれる。「ゆとり世代」と言ってしまうのは偏見かもしれないが、教育に対して情熱を燃やすタイプではなく、子どもたちの暴れっぷりに対してストレートに「苦痛」とボヤくタイプだ。しかし 、先生も個性をもった人だ。完璧な人なんてどんだけいるだろう。本作の新米教師の不完全さは、自分がお世話になった先生たちとあまり変わらないように思える。不器用ながらも子どもたちと向き合おうとする新米教師の真面目さにむしろ感心するくらいだ。その新米教師の前に、ある日、育児放棄された生徒の問題が持ち上がる。新米教師は、その生徒を救おうと奔走するが、大人たちが社会がそれを邪魔する。

尾野真千子演じる、若い母親は幼い子どもに手を上げることをやめられない。その折檻シーンは目を覆いたくなるほど痛ましく描かれるが、それを見て同時に、児童虐待のリアルに目を背けない本作の覚悟のようなものを感じた。母親の折檻は衝動に近いもので、悪いことだとわかっているのにやめられず、その後は 自責の念に駆られる。その一方、虐待を受ける幼児はそれでも母親にすがることをやめない。暴力を振るわれても母親を愛することしか知らないからだ。それがわかっているので母親はもっと苦しむ。負の連鎖から脱せない状況のなか、ある日、池脇千鶴演じる、同じ幼児を持つ近所の母親と親しくなる。子どもを愛し優しく大らかに育てる、主人公とは正反対の母親だ。

2つの物語で直面するのは、いずれも深刻な事態だ。そして、解決することの難しさも誠実に描かれる。しかし、その問題を突き破るために前進することは必ずできるはずで、それを信じさせる力がこの映画にはある。登場人物たちが前に踏み出すまでの道のりがとても感動的だ。共通する鍵は「ハグ」。思いやりを与え、理解を共有するその行為は、思い悩む人たちの背中をそっと押してくれる。人の体温をじっくりと感じさせるハグのシーンが素晴らしく、今でも深く胸に刻まれている。

劇中、父親という重要な役割を排除したことで、母親と子どもの感情の行き場がなくし、緊張感を増す構図にしたり、各エピソードのつながり、場面場面の転換を共通する同じ画で繋げてみたりなど、監督は映像表現においても優れた手腕をみせる。そのなかでも、特筆すべきは子どもたちへの演出だ。子どもたちの言動、リアクションは、まるでドキュメンタリーを見ているような息遣いだ。学級崩壊のシーンの生々しさが凄い。おそらく、それぞれの子役たちに設定した役を当てはめているのではなく、子どもたちが持つ素の個性をそのまま活かしているのだ。そう考えると是枝演出にとても近いものを感じる。

「傑作」と言い切れない点もある。3つ目の独居老人と自閉症の子どものエピソードについてはどうしても引っかかってしまう。個人的にはいらなかったように思う。それ単体では、扱うべき興味深いテーマだと思うが、他2つのエピソードとは軸足がやや異なるため、1つの映画としてバランスが悪い。自閉症を演じた子役の子は素晴らしい演技を魅せるのだが、他エピソードで目立った「演技をさせない子役の演技」とは色が違う。自閉症の子どもを預かってくれた老人に対して、子どもの母親が泣きじゃくるシーンもノレない。障害をもったお母さんって、もっと逞しいはずではないか。涙を流すという、ストレートすぎる感動の醸成も本作らしくない。惜しいと思った。

高良健吾、尾野真千子、池脇千鶴の三者のパフォーマンスが圧倒的に素晴らしい。 とりわけ、子持ちの肝っ玉母さんという新境地に挑んだ、池脇千鶴がキャリアベストのパフォーマンス。「わかってるから・・・」のハグにこっちは泣いてしまいましたよ。

【75点】
らいち

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