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ニンフォマニアック Vol.2のLEONkeiのレビュー・感想・評価

ニンフォマニアック Vol.2(2013年製作の映画)
2.5
その告白は〝懺悔〟か、或は〝慰め〟か…きっと彼女は朝陽が昇ると共に、その股間は熱く濡れていただろう。



この映画を観たならば、自らの性歴・性癖を告白しなければならない。

性に目覚めた幼少期を第1章とし、時系列的に8章に分け現在に至る直前を最終章とし告白しようではないか。

第1章:初めてのマスターベーションは桜咲く春の夜に寝付けなかった小学5年生の自分は…

とペラペラと主人公〝ジョー〟のように自らの性体験を告白するには、この場があまりにも不適切なので残念ではありますが自粛させていただきます。

しかしその性歴・性癖をココで告白しどん引きされようが、或は変人扱いされようがフォローしてくださる方々が減ろうが自分は構わない。

それは皆さん自身の性歴・性癖を、幼少期から現在に至るまでを振り返れば理解していただけるだろう。

他人には恥ずかしくて絶対に言えないような、行為や妄想は誰だってしている。

実際の行為と妄想は違うと言われるだろう。

確かに違う…しかしその変態的妄想も、あなた自身の願望であったり欲望の1つで有ることは確かだ。



ニンフォマニアック=色情狂の主人公〝ジョー〟が、特別で特殊な女性かどうかは全ての皆さんの告白を聞けば分かるでしょう。

混同されがちだが医学的にはセックス依存症(性依存症)は精神疾患で有り脳の病いなら、色情狂は病いとは違い症状で一種の性格的要素のココロの歪みのようなものでも有る。

セックスに限らずありとあらゆる依存症は困難ではあるが治療法は存在しているが、色情狂は個々が持つココロの歪みなので治すとか治さないとかの問題ではない。

だからこそ難しい…。



この映画が面白いかと言われれば、長く退屈で正直あまり面白くはない。

しかもvol.1とvol.2を全編通し結末まで観ないと成立せず、映画の作り方として5時間半とここまで長くする必要性が有るのか疑問。

生々しい性描写で主人公を描くが、冷めた無機質な空気にエロティックさは感じない。

全ての行為を理屈っぽく何かしらに定義づける様が萎えさせてしまうが、そこが〝ラース・フォン・トリアー〟の肝なんだと思えば納得せざるを得ない。

セリグマンのラストの行為は生き物としての純粋な本能がジョーによって目覚めさせ、それまでの人生が総崩れし知識の無意味さ無力さが知らしめられる。



欲望を満たす行為ならまだしも不条理を満たす為の〝慰め〟が、満たされぬ〝慰め〟となるならば…

その〝慰め〟の行為さえ無意味性を持ち、理不尽で絶望的な十字架を背負って一生彷徨い続けるだろう…罪など犯してはいないはずなのに..★,
LEONkei

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