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沈黙ーサイレンスーのgyaro311のレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.4
恥ずかしながら原作未読。
外国人宣教師の「棄教」をめぐる葛藤を縦軸に、
アミニズム、八百万の神を尊ぶ日本文化を、
外国人視点で斬る、異色の超大作でした。
スコセッシ監督が日本の文化を深く理解した上で、
外国人から見た驚きを次々と挿入していくので、
文化論として、
非常に価値が高い作品だと思いました。

映画は、オープニングから、エンドまで、
日本文化の形成に大きな影響を与えた自然、
風土への、強くて深い畏敬の念に溢れています。
目を閉じても、自然はそこにあるし、
真上から見ると人はちっぽけです。

日本にはマグマがつくる温泉があり、
山があり、海があり、波があり、
そして風があり、雨がよく降る。
それらは恵みをもたらすと共に、
時に非常に暴力的です。
だから日本人は古より、
自然に畏敬の念を抱き、
自然の法則に従って生きてきた。
基本的に生きることは、
自然の摂理に従い、耐えることだった。

キリスト教では、創造主がいて、
自然現象の全てには、
神の意図があると考える。
だから、神の声を聞こうと、
自然の摂理を分析する
自然科学が発達し、
ひいては自然に手を入れ、
自然をコントロールしようとした。
日本よりも厳しい自然環境だったことも、
文化形成に影響した。

しかし豊穣かつ、暴力的な自然に抱かれた
日本人には、元来、そういった感覚が
なかった。
偉大なる自然、さらにはお上には、
基本的に従い、耐える。
そこでは、神は沈黙しているのです。

日本人は現世の代わりに来世、
「極楽浄土」で報われることを夢見る。
現世で神の声を聞き、
その道を進もうとはしていないため、
キリスト教布教にとって、日本は
やはり種が根付かない
「沼地」だったのです。

作品中の日本のキリシタンのほとんどが、
現世で報われなくても、
来世報われるためだけに
信仰を捨てない。
その中で唯一、現世を生き抜くために、
キリスト教を信じる人物が登場する。
信仰によって、弱い自らを
赦してもらおうとするのだ。
実は彼こそが、
辛い現世を生き抜くための
宗教を具現化している。
その彼の生き方が、
棄教を迫られた宣教師の
葛藤づくめの人生と
最後まで交錯していく。
人生にはわかりやすい絶対的なものは、
やはり無いのだが、
かと言って、
信じるものがなければ辛すぎるのだ。

そこに、スコセッシ監督が(または原作が?)
人が「生きていく」ことへの
視座を置いていると思うと、
その人間愛の深さに涙を禁じ得ない。

現代をも完全に貫くテーマ。
早く、遠藤周作さんの代表作を
読み切らなければいけないです…
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