グラッデン

沈黙ーサイレンスーのグラッデンのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.2
江戸時代初期の日本。幕府が禁教とされるキリスト教に対する取締が強化される中、棄教したとされる恩師の行方を探すため長崎へ渡ったパードレ(神父)の物語。

約3時間に渡る鑑賞を終えたこと以上に、本作の重みに対して大きく深呼吸をしている自分がおりました。

鑑賞後、自分が感じた「重み」は何だったのかを考察していましたが、答え(作中の表現を借りれば「真理」に近いかもしれません)が見いだすことが出来ませんでした。。

冒頭の場面に代表されるように、たしかに幕府が信徒に対して行なったことは、身体的・精神的な暴力であることは間違いない。一方、イノウエをはじめとする幕府側の人物たちが語る禁教とする背景についても、現実の日本史における変遷を踏まえても納得できる部分があると感じました。

物語が進むに連れて序盤に固まりつつあった考えが揺さぶられ、迷いが芽生えておりました。この点は、本作において「(信者にとって)良き神父とは何か?」を問われてきたロドリゴ神父にも通じるところはあるのではないかと思いました。

同様の感情は、本作に登場するキチジローに対しても抱きました。生きるために何度も踏み絵をして弾圧を避けながらも、何度もロドリゴの前に現れては弱い自分の罪を懺悔する。彼をもって信仰を糧とする人間の内面にある弱さと捉えるのか、あるいはロドリゴに歩み寄ることを信仰への強さと考えるのか、コレは最後まで考えがまとまりませんでした。

マーティン・スコセッシ監督について、時代・設定等は異なれど、人物(あるいは群像)を通じてニューヨーク・アメリカを描いてきた印象が強かったことから、本作を手がけるという話を耳にした時に率直に驚きました。

一方、本作に関する監督のインタビューを拝見すると、長年本作に対する構想を練っていたことに加えて、過去の作品との共通項等を述べており、本作に対する強い思いを改めて実感しました。そうした部分も本作に感じた重みに繋がっているのかもしれません。

自分自身は檀家というレベルの緩やかなものですが、宗教に潜む精神性、あるいは日本人と信仰の関係性について色々と考えさせられる内容でありました。少し時間を置いて、また鑑賞できればと考えております。