LATESHOW

沈黙ーサイレンスーのLATESHOWのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
3.4
Lord,Can you hear me,when I call?

自分はどうやら
神なんてどうでもいい人間のようだ。
しかし何故か時に祈ってしまう。
人間は祈りという
自然と手を合わせたくなる行為自体を
完全に滅ぼすことはできないまま
激しい弾圧や征服を交えつつ
約二千年が経過したが
その間、ずっと神は沈黙していた訳で。
神は全知全能だから
宇宙全体においてあまりにも
ちっぽけな人間の存在なんて
無関心だしどうでもいいはずだ。
そんな風に考えている俺が
今作を観ても、原作を読んでも
つまらなくは断じてなかったが
テーマが響かなかったらしく
言葉が大して浮かんでこない。
最も感情移入したのは
浅野忠信が演じた通辞だ。
おそらく彼は英語を学ぶにあたり
過去に切支丹と触れあったろうし
ロドリゴの信仰心を転ばせるというより
どこか試しているかのような節がある。
彼は心の奥底で信仰心の持つ力を
確かめたかったのではなかろうか。
彼の役割に惹かれた。
惹かれた、というか納得するものがあった。
スコセッシ映画になぞらえるならば
イノウエはジョー・ペシか
ポール・ソルヴィノ的な存在で
弱き者ながらも遂に
信仰心を捨てなかったキチジローは
レイジング・ブルのデニーロで
通辞は...ケープフィアーのデニーロかな。
だからどうしたという話だが
言葉が次々に浮かぶ映画ではなかったから
恥ずかしながら濁すしかない。

何故だか祈ってしまう。

何故か。
神などどうでもいいのに
何故なのか。
疑問を醸成していけば
ある時答えとなる言葉が
心に浮かぶこともまたあるだろう。
答えは神のみぞ知るなんて言わせねぇよ。
LATESHOW

LATESHOW