スコセッシの沈黙、やっと観れた。
最後まで音楽のない世界…。
幼稚園から高校まで同じカソリックの学校で育ち、修学旅行は勿論のこと、授業の中でもこの時代の話が出てくるたびに、念入りに学んだはずだけれど、この物語でいう強い人(家族までに迫害されようと、信仰心を貫いた人)を英雄化する傾向にはあったけれど、だからと言って、踏み絵を踏みつつも偶像を隠し続け、心の中で信仰を貫いた人々が弱い者だという概念もなく、むしろ神に関しては偶像がないものがキリスト教なのだから、信仰心は心の中にあり、それこそが真の信仰だと子供心に理解していたのだけど、なるほど、あれだけ隠れキリシタンの使っていた偶像や象徴物がでてきているあたり、日本人は物を欲しがる性質なのかもしれない。
しかしそのぶん、信仰心も本当に強く、彼らが当たり前のようにやっていることを忘れてしまう若い神父の姿が印象的だった。
本当にその苦しみに直面して、それでも信仰心を貫き、その中で試行錯誤しながら生きてきた人と、こうあるべきだ、こうすればいいじゃないかという理想を掲げて、ポッとやってきた神父達の若さと浅はかさ。
色んな困難にもまれながら、信仰心と慈愛、博愛を学んでいくわけで、それこそが彼らに与えられた神からの試練だったのか…。
キチジロウのパーソナリティはかなり気になるところ。より人間的な象徴でもある気がする。ユダやペトロの話を彷彿させるなぁ。
しかし、こうやってみると、日本もとんでもないことをしてきたよね。