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沈黙ーサイレンスーのKのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
3.6
江戸初期の幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教したとされる師フェレイラを追い、キチジローの手引きで弟子のロドリゴとガルペはマカオから長崎へ渡る。

どんなに迫害されようとも神の救いを信じる信仰熱い隠れキリシタンたち。そんな彼らに対し、神は沈黙を貫く。神を信じ、殉教した彼らたちは、果たして天国へ行くことができたのか。

世界には様々な”神様”がいて、その”神様”が正でない場所では、その”神様”に祈りをささげたところで、助けてくれはしない。

宗教とは、もともと地域や民族に根付く規律を端に発するが、信仰心があれば、唯一国境を越えた地域の人々を同様の規律のもとに束ねることのできる、ソフト・パワーの政治であり、信者の献金等によって教会側はまた金銭的得を得ていたのであって、単に”良い教え”を広めていただけではない。

当時命がけで弾圧下でもカトリックを信じていた人々、命がけで布教活動をしていた神父たちは、ただ大真面目に神の救いを信じていた。人間が作り上げた”神”に、どれだけの善良な人々が犠牲になったか。そんな”神”は残酷でしかない。

16世紀、急激に成長するプロテスタントに対抗し、カトリックも『イエズス会』を作り世界布教を目指した。世界布教にあたり、カトリックの総本山バチカン市国は『スペインは西へ、ポルトガルは東へ向かえ』と布教を指示。

1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルは鹿児島に上陸、翌年に当時貿易で盛んだった平戸を訪れ領主の松浦隆信に歓迎され、長崎における南蛮貿易とキリスト教布教が始まる。

豊臣秀吉はキリスト教が天下統一を妨げることを懸念して、1587年に伴天連追放令を発令。自分の権力と禁教の意思を知らしめるために、キリシタンの街として栄えていた長崎を処刑地とした。

1612年、徳川幕府は天領に禁教令を発布。1614年、全国でのキリシタン摘発が始まる。1639年、幕府はイエズス会との結びつきが強かったポルトガルとの交易を断絶して鎖国。沿岸の警備も徹底され、宣教師たちの入国はかなわず、幕末までの約250年間、キリスト教は幻の宗教となる。
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