カント

沈黙ーサイレンスーのカントのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.0
権力者からスマホを「踏んで壊せ」と命令されたら貴方に踏めますか?……21世紀に蔓延るスマホ教を揶揄する作品か✨

▼一過性の長崎隠れキリシタン殉教ブームを描く、踏み絵ドラマ。キチジローの、イスカリオテのユダ的な人間臭さと熱演に喝采。英語ペラペラです。

▼皆さんご存じのようにキリスト教ってのは幼稚な教義で、その教えは仏教(ネパール発祥)はおろか孔子教(儒教:中国発祥)にも及びません。
そんな幼稚な教えが日本で広まる訳ないけれど…なぜか17世紀の長崎では狂信的な殉教ブームが到来して、皆で競ってパライソ(天国)に行きたがる😅
……こんなに大騒ぎしたのに現代の長崎でキリスト教徒は広がってるのか、と言うと……全く広まっていません。踏み絵とかって今や歴史の遺物です。

▼1633年。長崎奉行はキリスト教の棄教を拒む輩を雲仙で拷問。イエズス会のフェレイラ神父(パードレ)を救う為、セバスチャンとフランシス2人の弟子が日本を目指す。
▼マカオで出会った漂流者キチジロー。キチジローは隠れキリシタンの住むトモギ村へ2人の弟子を案内した。
▼信仰の本質を分からずロザリオや数珠玉など偶像の中に信仰を見出す村人の姿を危惧するパードレ。
爺様とモキチは、踏み絵を踏めずに拷問。踏み絵を踏めと涙するパードレ。
そんな中、生きのびる為に踏み絵を踏んだキチジロー。キチジローの苦悩こそ、一番に救うべき対象と気付くパードレ。

▼私が考えるに…17世紀当時、キリスト教の流入を嫌ったのは日本の統治に、キリスト教に付随して来る西洋文化(民主主義とか資本主義、一夫一婦制の概念)が不都合だったから。このため日本が西洋文化を学ぶのは明治維新までお預けとなります。
▼関係ないけれど…WW2の頃、国家神道の時、仏教徒の一部の諸派は最後まで国家神道に抵抗したけれど、キリスト教諸派は殆ど抵抗せずに国家神道を受け入れた腰抜け揃いでした(…と神学者が反省していました)
長崎の隠れキリシタンのガッツは一過性だったのですね。
▼冒頭、スマホ教と述べましたが…スマホは衣食住よりも重要な、ある意味で信仰に近い感覚が存在する、と個人的に思っています。
私には踏めません😅
カント

カント