プペ

沈黙ーサイレンスーのプペのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
2.3
とにかく、霧、霧、霧である。
冒頭から″行く先の見えない″光景に遭遇し、霧が晴れたかと思えば、磔にする責め苦と、説明過多のナレーションによる二重の拷問を観客は受けることになる。


さて、スコセッシが敬愛する溝口健二「雨月物語」の船がそうであったように、主人公たちが乗る船は常に視界を阻まれるように霧が発生し続ける。
噂だけしか入ってこない先人たちの現状、この″目″で直接見なければ納得がいかない。
霧をかき分け、海原を超えてでも″真実″を知りたい。
時折上から見下ろされているような視点はまるで、神が見守っていてくれているとでも言いたげな、そんなファンタジーな気を観客に起こさせる。
自らも小高い丘から見守ることしかできない苦しみを味わうなんて知らずに。


信用できない水先案内人
洞窟に取り残される不安

松明を掲げる者が、静かに、十字を切ることでようやく表情が緩む。

日本側の容赦の無い隠れキリシタン狩り
弾圧の様子

村を材木が散乱し、野生の猫が跋扈する無人地帯にし、押し寄せる波に晒し、抜刀して首を跳ね飛ばし、簀巻きにして海の中に沈め、血を垂らしながら逆さまに吊るす″見せしめ″の数々。
再会させるのは、目の前で処刑を行うのは、踏みにじらせるのは異邦人の信仰心をへし折るため。

スコセッシが今までの作品で描いてきた死にたくても死ねない生き地獄。
床や水面に見る″幻″、主の声(幻聴)、幾度も気が狂ったように自分自身を嗤う。
生きる恥をさらし続けてまで生き延びる意味を探しながら。

家財道具に刻まれた無言(沈黙)の抵抗。
何度も何度も許しを請い逃げて来た男が首にぶら下げる「逃げるのをやめた」証。


遠藤周作の原作との決定的な違いは、「夜明け」という希望の灯が昇らない点にある。
闇の中で蝉の鳴き声だけが響き続けるのだから。
その代わりに燃え盛る焔、掌の中で鈍く輝く″尊厳″が無言(沈黙)の抵抗を示すのだ。

かつてイエス・キリストを題材に「最後の誘惑」を撮ったスコセッシ。
この映画もまた、こんなご時世だからこそ存分に″挑発″し、問いかけるような作品だ。



長々と文字を紡いでからこんな事をあまり言いたくないが、個人的に期待が高すぎたのかもしれない。
鑑賞中は概ね満足はしたのだが、観終わってみるとストーリーの描き込みの弱さが目立つ。

最初に噂を聞いてから何年も経ち、自分の中でかなり都合よく再解釈されてしまったかも知れないこの魂の物語を、写実的表現の映画で納得・感動できるというのが無理だったのかもしれない。
それでも、人間の行いと不釣り合いなほどの大自然の美しさとの対比などは、映像作品ならではの魅力だろう。
プペ

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