ゆみゆみ

沈黙ーサイレンスーのゆみゆみのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
5.0
159分がこんなに早く過ぎるとは…後に残る胸のざわつきと、こんなにのめり込める作品に久しぶりに出会った喜びとで不思議な感覚。そして映画館に行けなかった自分への腹立たしい気持ち。

【あらすじ】
1600年代初頭。日本で布教活動をしていたイエズス会の神父フェレイラ(リーアム・ニーソン)が棄教したとの情報から、彼の弟子であるセバスチャン・ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とフランシス・ガルぺ(アダム・ドライバー)の二人は、日本に向かう。
日本人キチジロー(窪塚洋介)の案内で日本のトモギ村に密入国した二人がそこで見たのは、迫害を受けながらも隠れ切支丹として信仰を守り、司祭を求める村人の切実な姿だった。


最初から泣きっぱなし。どうしても涙が溢れる。何に反応しているのかというと、隠れ切支丹として信仰を守り続ける村人の姿が愛おしくもあり悲しくもあったから。
彼らの渇望はその貧しい暮らしと満たされない心からであって、その寄りどころを基督教に見つけた彼らは信じて祈れば手に入れられる平安を決して棄てることが出来なかった。

宗教が必要なのは今が苦しいから。日本人が長く宗教を必要としなかったのは、生活も心も満たされてきたからではないかと思っている。神の存在が入る隙もないほどに満たされている。神に祈る時間がないほどに他のことで忙しい。
それは幸せなことなのかな。そうだろうなと思う。

ただ江戸時代、戦国の世が終わりを告げても、農民の生活は何一つ変わることなく、年貢に労役に彼らを苦しめる日々は永遠に続く。彼らには神に祈ることとそれに精神の全てを掛けることしか、生き抜く術を知らない、ある意味で無知な存在だ。

私には神がいない。もちろん生まれてからずっと神に触れるような環境になかったし、キリスト教が欧米では生まれた時から当たり前に存在するように、逆に神の不在は私の、日本人の当たり前であると思う。私も父母も祖父母でさえ、そうじゃなかと思う。
でもそれ以上に神を求める必要がなかった。
私にとって仏教は信仰というより、もはや文化であり習慣だ。身近にあるが心にはない。墓参りも故人への想いであり、イースターやクリスマス、ハロウィンなんかはまさしく文化や娯楽としての行事でしかない。

**勢いでたぶんネタバレします**





村人が信仰を守って死にゆく姿に言葉にはならない思いが溢れる。
棄教を迷う神父の姿に信仰とは何か、何が真理なのか、その苦しい心の内を思って胸がざわつく。

トモギ村のシーンが最初から最後まで素晴らしかった。
この作品の中で一番の存在は塚本晋也だと思っている。モキチの「私は神を愛しています。それは信仰と同じですよね?」と雨の中で聞くシーンに涙が止まらんかった。そして十字架にはりつけられたモキチが「じいさまを導きください」と神に祈るシーン。そしてあのすごい体。あの汚れた爪。か細い聖歌と波のすさまじい音。彼こそが日本のクリスチャンの目指す真の姿であって、塚本晋也のあの演技なくして、この作品は成り立たない。

そしてキチジローがこの作品の中で重要な意味を持っている。彼はユダであって、パードレを売って銀貨を受け取り、それでも告悔を求め許しを乞う。あぁ人間ってこういう生き物だ。高潔なんてほとんどの人は持ち得ない。何度も何度もキリストを踏みつけ唾をかけてでも生きたいのは何故か。
それをキチジロー自身が弱さと言っていたけど、ある意味では強さだと思えてならなかった。
キチジローはこんな人物であるから、周りからの扱いもひどいし、人質に差し出されるなど、実は不遇の人生である。それが最後までロドリゴ神父をそばで支えたという事実は何を意味するのか。

隠れ切支丹達が英語をペラペラ話すのが最初は驚きだったけれど、この作品を世界中に出すための表現方法であるとしたら必要なことだ。
でもそれ以上に、彼らがキリスト教の教えを、神父の言葉を理解したいという気持ちから必死で習得したものであり、ある意味で言葉を理解しないのは死活問題であったと考えたら、フェレイラ神父が15年布教活動をしたという事実を鑑みても、あり得ないことではないと思う。
むしろ彼らが英語を下手ながらも一生懸命話す姿は信仰の姿そのもののようにも感じる。

むしろ井上さまや役人がペラペラな方が違和感あった。彼らも隠れ切支丹なのかと思った。キチジローが十字架に唾した瞬間に井上さまは顔を背ける。

イッセー尾形。この人がとにかくスゴイ。すごいキャラクターの熱を発していた。正直言って、この井上さまが憎らしく思えないんだよなぁ。喋り方、そのスピード、所作や表情のその全てがものすごい存在感を発していて、目を離せなかった。
ロドリゴは単なる語り部でしかないように感じるくらい、日本人俳優がこの作品の全てを担っていると思う。

BGMのない作品であることに途中まで気づかなかった。常に虫の声や、風の音、波の音に鳥の声、自然の音がBGMなのがすごくしっくりくる。
自然の中にしか神を見出せないとは実に日本人を言い当てている。神の御子(Son)と神の大日(Sun)。

スコセッシの天才ぶりに感嘆しかない。細部に渡って実に作り込まれ、芸が細かく、俳優一人一人の脇役に至るまで、その表情や仕草が完璧だった。
片桐はいりが小さく十字をきる仕草、名もなき農民一人一人の沈黙の表情、キチジローが伺うようにパードレを盗み見る仕草…。

だいぶ長く書いたけど、まだまだ言い足りない。
あぁ、この作品を観た人とお酒を飲みながら語りたい。語り合いたくなるような、素晴らしく完璧な作品だった。
遠藤周作は数冊しか読んだことがなく、この「沈黙」は未読。是非読みたい。