地獄絵図。
観終わった直後の感想である。
月並みで陳腐だが、そうとしか思えない。
戦争は、地獄絵図である。
8/7に向けたNHK広島の企画「1945ひろしまタイムライン」を直前に知り、前日から追った。
昨年は、西村利信氏の「原爆体験記」を拝読した。
どれも、脳裏に浮かぶ光景に胸を締め付けられた。
いや、そんな生ぬるいものではない。
絶望に襲われた。
そして本作『野火』である。
噂には聞いていたが、残酷な描写が遠慮なく展開されている。
戦争は無残。
戦争は酷い。
戦争は人を狂わせる。
月並みで陳腐だが、そう思わざるを得ない。
「1945ひろしまタイムライン」と「原爆体験記」は活字だったが(それでも迫るものがあった)、『野火』は映像だ。塚本流のビジュアルで突きつけられると、自分が地獄の中にいるのではないかと感じてしまう。
また、この状況が自身の瑕疵で引き起こされたものではない、というところに恐ろしさを感じる。
戦争では、最前線の兵隊はただの駒である。そして無能なプレイヤー(軍上層部)により、ただただ無駄に命を落とすのである。いや、そもそも命ある者として扱われていない。悲惨、という言葉では足りない。
将来、戦争が勃発し、徴兵制が復活し、自分の子どもたちが否応なく戦地へ駆り出されると想像すると、苦しくて死にそうになる。
それだけで、戦争に反対する理由になるのではあるまいか。難しいことは考えなくていいんじゃないか。そう思う。
ここからは、ひねくれた私の思いなのだが。
いま、日本は平和である。いや、コロナ禍やいろいろな考えはあると思うが、少なくとも道を歩くとき命がけではないし、敵国の兵士を殺すために銃を手に敵地へ赴くということもない。
平和と言って良いと思う。
この国では、「戦争」は遠い。
だから、この作品が戦争の悲惨さを伝えているということが伝わらないのではないか? そう思ってしまった。
戦争とは? あの戦争でなにが起きたか?
その前提が伝わってないと、作品の力が強いだけにただのグロ映画で終わってしまう。そんな風に感じてしまった。
私も、戦争体験者ではないし、祖父母のような身近な戦争体験者はほぼ亡くなってしまった。
だから、戦争のことを子どもたちに伝えようとしても、かなり難しい。無理。
私たちのような大人が、いまこそ真剣に戦争に向き合い、平和の大切さを実感し、伝えてゆく努力をしなければならない。
『野火』は私に教えてくれた。