「悲しい」と口に出すこともできないくらい悲しんでいる人の奇行を見るのは心苦しかった。
“その日”もちょっとした口喧嘩をしていたし、彼女のグチはそっちのけで仕事のことを考えていたし、確かに夫婦仲は冷めていたかもしれない。
だけど、あのまま死ぬとは夢にも思わなかった。突然居なくなることなど想像したこともなかった。
いつも電車で顔を合わせるオジサンとの何げない会話のなかで「俺、(死んだ)妻を愛していなかったんだ」と軽口を叩くデイヴィスだけど。
彼は、悲しむより前、まだ起こった事態を飲み込めていないように見える。
あと一回でいいから彼女と話すことはできないだろうか?
ただ一目見ることも、もう本当にあり得ないのだろうか?
と、まだ疑っている段階に見える。
悲しみに至るまでの速度は人それぞれ違うのだから、みんなが同じタイミングで泣けなくたっていいのに、
悲しみに暮れる代わりにあらゆる物品の解体&破壊行為に全力を注ぐようになったデイヴィスを周囲の人間は変人扱いする。
でもその行為がこれから生きて再生するための過程なら、と温かく見守りたくなる。
「ナイトクローラー」「オクジャ」などでの“冷血キャラ”が板についてきたジェイクだからこそ、奥さんが死んでも何とも思わない薄情夫にも見えるし、
反対に、愛していたからこそ現実を全く受け入れられない(自分の心に)正直な人、にも見える。
なんだか晴れてるのに雨が降っている、お天気雨のような映画でした。