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オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

退屈だという評価が多くて驚かされる。低い評価を下すのが子供であれば納得も出来るが、もしそれが大人だとしたら悲しいことだ。画面に映るのは全編を通してたった一人しかいないが、彼はもちろん他の登場人物も心の動きを追わずにはいられない。そして主人公の立場や、なぜその決断を下したか想像力を必要とする映画である。

超高層ビルの現場監督として、重要な作業を明朝に控えるアイヴァン・ロック(トム・ハーディ)は、愛車BMWに乗り込むと、なぜか自宅と逆方向にハンドルを切り、ハイウェイに乗る。

彼が向かうのは1年前に不倫した女がいる病院。彼女は彼の子を妊娠し、今まさに出産しようとしている。

不倫相手が妊娠したというのは、家庭を持つ男としては、極めて深刻な状況である。(私には無いが、自分の身に起こったらと思うとゾッとする)
ところが本作はすでにその女性が産気づき、今すぐ来て!というところから物語が始まる。
映画は病院までのおよそ90分間のドライブをリアルタイムで描く、動く密室劇である。

舞台は運転するBMW一台のみ。
画面に現れるのはトム・ハーディ一人。
彼があちこちと車内電話では話す、ただそれだけの映画だ。

かといって、この映画が映像表現をサボっているかと言えば、そんなことはない。
とても美しい夜景。漆黒の夜のハイウェイ。フロントガラスに反射する七宝のごときぼやけた光の玉。
それらがネオンに実像を結ぶ瞬間。

アイヴァンはなぜ今の幸福を投げ打ってまでその行動に駆られたのか。

もう引き返せない一本道をカーナビが機械的な配色が映すのが、彼の決断を象徴している。

映画好きなら気付くだろうが、こういうミニマムな状況のドラマは傑作率が高い。

本作は「イースタン・プロミス」などの脚本家スティーヴン・ナイトがオリジナル脚本を自ら監督したもので、社会派な一面は見せず、極めて哲学的な思考に誘う、大人向けの一本となっている。
短編推理小説でも読むような趣きとなっている。

映画がはじまってものの数分で、アイヴァンが人一倍「誠実」な人間であることがわかる。
なぜ不倫相手が妊娠したのか?
なぜ家族に話さず、ここまで放っておいたのか?
次々と謎が登場して飽きさせない。

さらに、明朝に控えた人生最大の仕事を、たまたま残っていた作業員たちに電話の指示でやらせなくてはならないなど、スリリングなサブストーリーも同時進行する。

スピーディーな上に無駄はない。
私達観客は会話から、全てを想像する必要がある。見ていて背景を考えるうち、自分ならどうすると思ううち、時間が過ぎるのが早いタイプの映画である。

主人公の名前で映画の原題である「ロック(Locke)」は哲学者ジョン・ロックからとったと思われるが、実際の映画のテーマもジョン・ロックの経験論をミステリーにしたものである。

簡単に言えば「自らの考えが正しいか、確かめることなどできるのか」という問いかけである。

妊娠した、ではなく出産がはじまった、と聞き、そこに向かうタイミングを映画にしたため、主人公はすでに「選択」に迷う段階にはない。

運転する姿だけなのだが、ハンズフリーの会話を通した、主人公の心理の機敏を、トム・ハーディは表情の豊かさで、良く伝えている。

車の運転も道路状況も正常。
渋滞もトラブルも何も起きない。
スムーズにドライブしている。
しかし主人公の人生はどんどん変化する。
人に誠実でありたい。
自分の行動の始末をちゃんとつけたい。
仕事にも責任がある。

自分が大切にする妻には、真実を伝えて、理解して貰いたい。が、想像と違う方向へ進んでしまう人生の歯車。

女性は感情を大事にする。
でも男性は、事実とその後の生活のことを大事にする。
主人公の妻にこの夫は理解できない。というより女性故に夫の裏切り行為は許せない。愛した人間が他の女を抱いた手で、自分を抱くのは生理的に無理なのだ。

誰もいないはずの後部座席にうかべる父親の幻影。
主人公の父親も主人公にとって、憎むべき存在だったのに、その父と同じになるのかという恐怖も重なる。

大抵の映画は「どっちを選ぶか」でスリルを生み出そうとするが、本作が新鮮なのはその先、「その選択は正しいのか否か」を考えようとしている点である。

主人公アイヴァン・ロックはいまや窮地に立たされているが、すでに選択はすんでいる。この映画は、人間が責任を果たすという、その意味の重さをも描いている。

それはときに苦しいが、唯一の希望はこの道が正しいという自らの信念である。

揺らぎそうなその信念、自らの決断を、彼はときに自ら励まし、覚悟して主人公は進んでゆくのは、まさに人生の縮図そのもの。

果たして、自分が選んだその道が正しいのかどうか?
監督が私達観客に突きつける命題である。

もし主人公の答えを、この映画の中に見つける事が出来るとしたら、きっと観客それぞれの人生の迷いにも、何かしらの答えが出るに違いない。

監督もそれを期待していることだろう。

映画の最後に息子が主人公に語る言葉。
これが泣ける。
主人公の息子が電話をしてきて、どうでもいいような試合の話を一生懸命する。
息子が子供ながら、すべてを見透かし、それでも父と一緒にいたいということを表現している。

目的地に辿り着いた後、永遠に失うかもしれない、家族というかけがえのない宝物。
その絶望感に打ちのめされながらも、息子の話には一縷の望み、希望が感じられる。

「間違いを犯した。だが、この進む道の先には…」
強烈に胸を打つそんな主人公の言葉とともに、強い印象を残す好編といえる。

何かに迷っている、悩みがある、そんな人にとっては、この映画はとくに重要な道しるべになるかもしれない。

この映画は場面転換による展開がない。
だからこそ、「この映画がつまらない」という意味もよくわかる。
性的描写も暴力描写も事故も破壊の描写もない。
映画的に盛り上がる絵はないのだ。
演出陣営のひとりよがりに革新性らしきものを表現しているだけだという意見もある。

しかし、通話の相手がどんな人たちなのか、その姿は観客の心の中にしか見えてこない。
それなのに彼らの表情どころか顔や姿までもが鮮明に見えてくるから不思議だ。

この映画からは「ありきたりな脚本でも見せ方によって化ける」ということを学んだ気がする。
ストーリーを語ることに、場面転換なんていらないという発見。

そして、見る者の想像力をフル活用させる秀逸な作品。
低評価を送る人は、刺激的な映像ばかりを欲して来たがために、想像力が欠如した人間だと、お叱りの声を覚悟して言おう。

とはいえ、心が痛む話である。
何度も見たい娯楽作ではない。
しかし、人生に迷った時、決断の尊さを知る為に、また見たくなるであろう作品だ。

追記
40過ぎの寂しい女と劇中で言われた不倫相手役のオリヴィア・コールマンは、イギリスの女優で今年のアカデミー主演女優賞に輝いた。
声だけでも名演であった。
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