安堵霊タラコフスキー

何故R氏は発作的に人を殺したか?の安堵霊タラコフスキーのレビュー・感想・評価

4.2
最近サイレント映画ばかり見てることもあって、真に良い映画とは字幕や言葉が無くても理解できるものという信条が更に強くなっているため、実験的に字幕を極力見ないでこの映画は見ようと試みたが、会話が意味を成しているか否かがギリギリのラインのこの映画においては良さがわかったようなわからないような微妙な感触

話に参加しないのかできないのか、とにかく仲間の輪に入りきっていない冒頭のR氏の姿から疎外感はなんとなく伝わり、その後もR氏は他の二人が煙草を吸ってるところで吸わなかったと思ったら、今度は家族団欒の場で一人煙草を吸い始めたりと気詰まりしていそうな場面が多く見られ、後半の会食シーンにいたっては自分が話していると他の皆が退屈そうにしていたりして実に居た堪れなく、とにかくそうした居心地の悪さを見ている側すら感じる場面ばかり映るために孤立体質の自分としても共感を覚えるものがあって、自分もふとしたとき発作的に殺人とかしてしまうかもと改めて戦慄

ちなみに自分が一番好きなシーンは大人たちが会話しながら歩いていると子供がこっそり離れていて、少ししてから大人たちが探し回る場面だけど、実はここで画面外から見ていてもいついなくなったのかわからなくて人間の注意力の無さに我ながら溜め息の出る気持ちで、しかしこれが他人に気が回らないで悲劇を齎す後の展開を暗喩していたのかもと思う中々深いシーンだった

ファスビンダー作品ではマルタやシナのルーレットみたいに長回し気味の固定カメラで映した端整な映像のものが好きで、それ故手持ちカメラばかりのこの作品の映像はファスビンダーに求めるそれとは違ったものになったけど、後のクリスティ・プイウ作品みたいなドキュメンタリーじみた21世紀的映像表現を70年代に既に行っていた点は中々先駆的で、革新性というでも白眉な作品だったように思える

しかし途中で字幕チラ見した箇所があったとはいえ、言葉の情報をあまりいれなくてもここまで良いと思えたということは、やはり良い映画って映像の情報だけでも良さがわかるものなのかもしれない