みんと

あやつり糸の世界のみんとのネタバレレビュー・内容・結末

あやつり糸の世界(1973年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

またまた普段考えることをこれでもかと表現してくれる哲学×SF映画に出会ってしまった。

本作のテーマは私も大好きな仮想現実、イデア論、多層世界。
「マトリックス」以前にこんな映画があったとは…。
テレビ用に制作されたということでかなり長く感じてしまったが、この手のテーマが好きな人にとっては良作なのでは。

キューブリックが描く近未来でもそうだが、合理化・機械化が進み、モノやヒトが無機質になる様が良い。本当にこうなるのかな?ていうか、昔と比べたら既に今そうなっているのかな?
そして、本当にこの世界が現実なのか、そもそも存在するのかと混乱させられるような鏡を使った演出が素晴らしい。


しかし私は、「仮想現実」はあくまでテーマであって、それ以上に、“この世の「当たり前」を疑わせ、それによりフォルマ―やフレッドと同じように視聴者もこの世界の可能性に翻弄される”ということにこの映画の意義があるのではないかと考える。
なぜならば、まさに“この世の当たり前を疑え”的な「ゼノンのパラドックス」の「アキレスと亀」が出てきたからである。しかもそれを、登場人物の中でいち早くこの世界が仮想現実であることを突き止めたフォルマ―が残したということで、尚更そのメッセージ性が重要な気がする。
特に「アキレスの亀」に絞って考えるなら、“「有限」のこの世界に「無限」(「アキレスの亀」では、アキレスが亀に追いつくのに進む距離が自然数にならない的な。本作では仮想現実の仮想現実があり、またさらに仮想現実があり…という有限かどうかわからない多層世界。)の可能性を取り入れることによる翻弄”を表しているのか?もうわからない…


タイトルの「あやつり糸」は、“この世界は仮想現実で、上界にあやつられている。”という意味だろう。
この世界が仮想現実でなかったとしても、“人類は多くの未知によって、何かに翻弄されている。”という意味だろう。
そして「ゼノンのパラドックス」の要素を加味するならば、“世の中の当たり前を疑う人が少ない。疑っても論破できるかどうかは分からない。論破できないととんでもないことを肯定することになる。”ということなのだろうと思った。
憶測だけども。


人類は宇宙について9割くらい解明できていないというのを聞いたことあるが、そんな私たちの今の世界を、上界の未来の予見のためにある主人公がいた世界に重ねてみてしまったり…。
だから、この映画の終わり方をバッドエンドと捉えるということは、私たちの住むこの世界を否定することと同義だと感じる。

せめて死んだ後でいいから全知全能になりたい(笑)
みんと

みんと