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キャロルのykのネタバレレビュー・内容・結末

キャロル(2015年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

愛とは如何に孤独であるか。

この物語をただの同性愛を描いたものとして捉えるには、あまりにも難しい。

映画中のギミックとして、何度もフィルム写真が出てくるが、人を惹きつける写真を撮るということは、必ずしもセンスや技術に拠らない。
ファインダーを覗きシャッターを切る瞬間に、表面上ではなく、そのものと自分への真の理解が必要となると、私は思っている。
その瞬間を焼き付けたい。目の前を過ぎ去る景色を、立ち止まってはくれない大切な人を見たときの胸の奥の感情を、大事にしたい。
その思いが自分らしく、魅力的な写真を生むのではないか。

その意味でテレーズとキャロルは、ある種自分らしくありたいと願い続けている、もしくは自分自身の姿を探し続けている女性である。

ケイト・ブランシェット演じるキャロルは、一見強く、美しく、それでいて独特な儚さを持つ。けれども、その裏で、「自分」というものを押し殺し、愛する娘のために偽りの人生を演じている、一種の弱さを兼ね備えている女性である。「自分が分かっている?」という問いかけに対し、「分からない」と答えるその正直さ、実直さ。
それでも、常に自分の愛する人々のことを考え、問題に真正面から向き合い、自分らしく生きようとし続ける人である。

その文脈で言えば、ルーニー・マーラー演じるテレーズは、キャロルと出会うことで、本物の愛というものに向き合えるようになった女性である。
これまでポートレートを撮ることが出来なかったのに対して、キャロルとの旅の後で「内面をよく捉えた」写真を撮ることが出来るようになったのは、性別というものを超えた愛に出会えたからかも知れない。

この映画は、ともすれば人が纏まりのない表現を取りがちな「愛」という命題を、性別を超えて直視し、真っ直ぐに語った、非常に真摯な映画だと思う。
そしてその愛は自分や自分の人生に向けられたものでもあり、キャロルもテレーズも、お互いに出会い、お互いに影響しあうことで初めて、偽りなく「自分らしくある」という一歩に進めたのである。

だからこそ、ラストシーンはとりわけ美しく見える。
2人が出会うショッピングモールでは、キャロルがテレーズに近づいていくが、ラストではテレーズがキャロルへと足を向ける。
その対比にも物語を感じた。

画面の作りだけでなく、ピアノをバックにした短いエンドロールも含め、美しく儚げに愛を描いた良作だった。
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