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ポルノ時代劇 忘八武士道のALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

ポルノ時代劇 忘八武士道(1973年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

東映ポルノ時代劇。東映京都作品。東映ポルノ全盛の頃、撮影所ではステージとステージの間を裸の女性が慌ただしく走り回っており、古式ゆかしい撮影所のスタッフは嫌悪の色を示したそうだ。
時は徳川幕府の代、江戸の町で「人斬り死能」と恐れられる浪人、明日死能は人斬りの咎から役人に追われる身となった。追われて川に逃げ込んだところを吉原遊郭の総名主、忘八者の袈裟蔵と子分達によって救い出される。忘八とは人の道を外れ、八つの徳「孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥」を忘れた外道達のことである。自らの敵であれば、女子供であっても役人であっても容赦なく斬り捨て、女を犯し、自らの損得に関わらぬ事には笑いもせず、泣きもしない。非道の限りを尽くす外道にも外道のルールがあり、死能はその道からも逸れてしまい、一度は忘八者から追放されてしまう。しかし、その剣の腕を見出した袈裟蔵は役人達から死能を匿い、自らの用心棒として傍に抱える。やがては袈裟蔵によって商売敵を討ち殺す事を命ぜられ、人の恨みと血をたっぷり吸った名刀鬼包丁で暴れ回る。同心、岡っ引きをも斬り殺す死能はあらゆる恨みを買い、命を狙われる存在に。そして訪れる裏切りの存在。死能は雪の降りしきる中、魂を振り絞り最後の大立ち回りをみせる。
クエンティン・タランティーノに絶大な影響を与えた石井輝男監督、丹波哲郎主演作品。橋の上での残虐立ち回りからこの映画は始まる。この作品の中で目を引く特徴は誇張された残虐描写と画面内の色彩である。現実ではありえないこれらの描写が映画のフィクション性をより強め、鮮烈な娯楽作品として仕上がっている。
それまでの伝統ある京都の時代劇では、勧善懲悪が主流であったが正義の存在に疑問を呈し、主人公という存在をどう扱うかを改めて見直す動きがあった。正義の定義、悪の定義の再考。主人公が悪人という作品が70年代、東映任侠劇の盛り上がりとともに東映、松竹両撮影所を中心として京都全体に多く現れ始めた(明日死能は一応、正義でも悪でもない存在として描かれていると思うのだが…)。外道、畜生それも世の中。勧善懲悪を疑い、本当の悪人は社会が生み出すといった京都の反京都的な考え方は二川文太郎監督、阪東妻三郎主演の『雄呂血』が源流になっているだろう。京都時代劇の中の異端的京都作品の流れは見るとおもしろいので是非。純粋な白い着物が血に染まる映画。
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