ねこたす

駆込み女と駆出し男のねこたすのレビュー・感想・評価

駆込み女と駆出し男(2015年製作の映画)
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駆け込み寺というと、今時では食うに困った人を助けるような場所を指すイメージがあるが、そういえば尼さんになるようなイメージも頭の中にあった。
だけども、それを映画にして面白いの?という疑問がまず浮かぶ。それが面白くなっているから驚きだ。

前半駆け込むまでを、じっくりじっくりと描く。これからこの映画の江戸描写はこういうものですよ~という具合に。現代言葉に慣れた我々にとって、現代人が喋っていようともやはり昔の言葉には親しみがない。
それでも、耳のチューニングが合うようになってくると、物語に引き込まれるようになってくるから不思議だ。

言葉遣いは古くとも、大袈裟な演技は現代。どちらかというと演劇風である。それも、どこか江戸っぽいと言ってしまえば通用してしまう。

もちろんそれは、ばっちりキマった撮影あってのことだ。
絶妙な光加減なのである。電気で照らされる前の薄暗さを、画面全体が暗くならないギリギリを狙う。
また、建物内でも決して狭さを感じることなく、カメラが自由に動くことで躍動感が出る。
自然も、森の中や四季折々の細かい描写が世界観を形作る。

狂言回しのような主人公信次郎を演じる大泉洋。配役の勝利だ。半分以上はコメディタッチな演技だが、それでいて映画の質を落とすわけではない。戯作者らしく、言葉選びとそのリズムを大事に大事に口から吐きだしていく。そもそもタイトルが、まさしく言葉遊びなのだ。彼のくだけたキャラ作りが、鑑賞者のハードルを下げるのを手伝う。

周りを固める役者人もまた手堅い。個性派が揃うが、味があるのにぶつかりあっていない不思議なバランス。樹木希林なんていつもと同じようで、やっぱり違う独特の存在感。
武田真治もハマり役だし、堤真一や中村育二の声のシブさがまたたまらない。

THE・不憫女こと満島ひかりと戸田恵梨香の掛け合いがまた良い。位を超えた友情、心のつながりが胸をうつ。
少し前に戸田恵梨香の演技を酷評したが、こちらが本来の戸田恵梨香の実力だろう。これが見たかった。特に目が印象的。真ん丸でっかい目はイノセントであり、ともすれば何でも受け入れてしまいそうな。
2年という月日の長さを感じさせる、その人の変わりっぷりの演技分けも効果的だ。

基本的には演劇を映画化したような会話劇中心で構成されている。しかし、工夫により上映時間の割りに退屈するようなものではない。
戸田恵梨香の後ろでセックスさせたり、大泉洋を使ったギャグを挟んでみたり。
かと思えば、重要な駆け込みシーンを緊迫感たっぷりのアクションシーンとして見せる。
囲炉裏を囲んでの回想シーンでは、話の間にそれぞれの人が座っている位置を代え時間の経過を表現する。
念仏をBGMに、歌、武芸、掃除等々寺の暮らしを手際よく見せていく。
まさにカオナシのような侵入も、またどこか笑えてしまうのである。

大泉洋を狂言回し的に置くことで、違和感なく女人の寺の中を垣間見ることができる。吟の駆け込み理由や、おせんの見の隠し方も唸るような見事さである。上手い。

平和平和だと言われていたような江戸も、封建的で閉鎖てきであった。今のような権利も保障されておらず、縁切寺が今でいう家庭裁判所の役割をしていたという解説には納得だ。

地味な映画であるが、そういった時代を強く生きようとした人々の生き様を土台にして素敵な映画に仕上がっている。
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