フラカ

ドクター・ストレンジのフラカのネタバレレビュー・内容・結末

ドクター・ストレンジ(2016年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

まさかの!満点です
このバランス感覚よ

ムービーウォッチメンを聞いてから臨んだのですが、宇多丸さんの賛否ポイントをそれぞれまとめると、楽しめる、元カノが可愛い、ベネやマッツなど俳優さんの安定感、でも魔法でできることとできないことの線引きが曖昧なため話の展開をどうでもよく感じてしまう(ドラえもん問題ですね)
とのことでした。

監督さんは、ホラー映画の領域でずっとオカルト的な、ヒッピーカルチャー的なテーマの作品を撮りつづけてきた方だそうです。

私にとっても、そこはすごく信頼できる点でしたし、映画を観てガッカリさせられる点が全くありませんでした。

まず、師がティルダ・スウィントンなのが最高でした。
宇多丸さんは、こういう感じのリアリティの映画だと示す設定だと言っていて
聞いた時ネガティヴな意味か(アジアの話なのにキャスト全員白人とか昔よくあったパターン)と思ったんですが、全く逆、いい意味ででした。

カマー・タージに着いた時、街の中の建物だったので、ストレンジが、え、こんなとこにあるの?もっとそれっぽいとこにあるのかと、って言う
するといずれ兄弟子になる人に、常識は捨てろ、みたいなことを言われる。
そして中に入ると老いた中国人風の男性がいて、それをストレンジはワンだと勘違いして挨拶する。

お茶を持ってきたティルダ・スウィントンには挨拶しないのですが、いや、その女性がワンだよ…って言われる。

師となるワンはケルト人の綺麗な女性なんですね。

ダライ・ラマや、カスタネダのドンファンみたいな、アジアや、ネイティブアメリカンの高齢の男性とかではないんです。

このエピソードで、ちゃんと2016年にアップデートされているなと思いました。

マントラかと思いきやWi-Fiパスワードだ、とか
サンスクリット語わかるか?Google翻訳がある
とかのやりとりもベタなギャグという面もあるけど、それ以上に、日常って感じ。

悟りを得るのに、それっぽさはいらないんです。

必要以上にオリエンタル感や未開感を強調してきた時代は終わったんだなよかったよかった、という感じがしました。

比較としてリトルブッダを思い出しました。マトリックスも。リトルブッダはお釈迦様の話だからそれっぽくて当然なんですが。東洋思想は他所の国の思想、感があった。逆だからこの、トランプ後にもかかわらず、MCUの東洋的思想の理解が全然チープじゃないの、ありがとう世界、ありがとう。

あと良かった点。
ベネがね、前半、調子乗ってるんですよ。
ベネにしては珍しい役だと思いました。
スマホで音楽聴きながらオペしてたり、よりどりみどりの高級そうな時計にスポーツカー、そしてそんな時も品がいいのが最高。

でも、チベットに行く頃には、元カノにもらった思い出の時計以外全て手放していて、それすらも追い剥ぎに踏みつけられて粉々に割れてしまう。

その、粉々に割れた腕時計を、ラストシーンで、愛おしそうに腕につけるんですよ。

怪我するまでは、経歴にキズが付くのを恐れて、失敗しそうな手術は断ったりしている。

まるで、今より悪くなるくらいなら死にたい、みたいなバージンスーサイドのメンタルなんです。

本来、医師のすべきことは人命救助なのに、挑戦ができない。もったいない。

それが、怪我をして、全て失って、初めて前に進んで、やるべき事に挑戦できる自分になれた。

思い通りでない方向へ事態が転がりだして、そこからが本当の人生だったんだって今ならわかる。

ストレンジが身につけた最強の魔法が、時間を巻き戻す術なのも、すごく象徴的。

巻き戻すこともできる、でも、時に荒療治でも先へ進ませてくれる経験の方がどんなに貴重か今ならわかる。

そんな気持ちを、割れた腕時計を慈しむシーンから感じました。
フラカ

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