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ストレイト・アウタ・コンプトンのshitpieのレビュー・感想・評価

3.5
例えばあのビートルズのように、多くのバンドが経験する青春期の輝き。しかし青春とはあらかじめ終わりが約束されているものであって、陽が傾くようにそれはその輝きを失っていく。グズグズと、崩れるように、醜く。だからこそ一生に一度しかありえない青春はなにものにも代えがたく、より一層美しく照り輝く(経験談(笑))。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』で描かれるのは N.W.A. のあまりにも短すぎる青春だ。この映画はラップ版『ジャージー・ボーイズ』だと言っていいだろう。栄光を手にし、そして散り散りになっていく若者たちの群像劇。映画はギャングスタ・ラップを発明したパイオニアたちの軌跡を丁寧に追っていく。それゆえに映画としてはかなり手堅いつくりで、そつがない。 2 時間半という長大さは感じないものの、クロノロジカルに進んでいく語り口に平凡さを感じる。また、街よりもスタジオばかりを映し、クローズアップを多用するカメラには窮屈さを覚える。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』は、その短い青春期をさも永遠に続くかのように映すべきだったのだろう。映画の多くを占めるビジネス上のトラブルがシリアスな影を落としすぎており、ウエストコースト・ラップのハードな相貌と裏表の関係にある楽天的で馬鹿馬鹿しい側面を見えなくさせてしまっている(それにドクター・ドレーはイノセントに描かれすぎだ)。後半、デス・ロウのゴタゴタや端役すぎるスヌープと 2 パックの登場など、映画の中心軸がぶれるような展開も詰め込み過ぎで、それゆえにイージー・ E の死も淡泊にすぎる。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』は映画として N.W.A. の音楽を超えてくることはないが、しかしそれでもなお魅力的である。それはこれが青春映画であると同時に政治的でもあるからだ。ロドニー・キングの事件を繰り返し語るのは、今のアメリカを憂いてのことだろう。エンディングにはケンドリック・ラマーもカメオ出演している。タイムレスなクラシックとしてではなく、 N.W.A. は未だアクチュアルなヒップホップとして聞かれうる。だからこれは『フルートベール駅で』や『グローリー』と並べて観られるべき映画なのだ。気持ち的には 4.0+ 。

(吉祥寺オデヲンの音響はちょっと弱すぎたな……。)