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ムーンライティングの堊のレビュー・感想・評価

ムーンライティング(1982年製作の映画)
3.9
カンヌで上映された際に『月光を浴びろ』と誤訳されたせいで『moon lighting』なる題がつき仏では『Travail au noir』と呼ばれ、日本で正式な題があるとすれば『ブラック労働』なるであろう本作は題にまつわるその歪な経緯に反して監督であるスコリモフスキ自身は「久しぶりに個人的な映画を作ることができた」などと満足げな様子である。“個人的”とは本作の何を指しているのだろうか。例えばまず思い浮かぶのはショーウインドウに立つ女性の店員が主人公ノヴァクの眼にはすべてアンナのように映る場面だ。とりわけ『早春』で明確化した主人公の異性に対する執着を思い出させる。異性との感情的な食い違いに懊悩する男性像というモチーフはもはやスコリモフスキ作品の代名詞であるかのように頻出する。『アンナと過ごした四日間』や『早春』ではそれが前景化し全編を包皮のように優しく覆う形で作られていたことは誰の目にも明らかだったし、『ザ・シャウト』でのノイズミュージシャンが突然の訪問者に妻を奪われたあとに妻への執着から狭い室内を右往左往していたさまも思い浮かぶ。過去作との関連で言えば思わず笑ってしまうようなリフォーム作業中の高所でのバナシャクの感電はチャップリンではなく彼が何度もモチーフにしているキートンであり『アンナ』を見たあとならば主人公のあっけなく惨めな転倒を、水浸しになった床の上で感電を防ぐために電球を割るノヴァクの姿には『早春』の雪を溶かすためのランプのもとに集う二人とその揺れを思い起こさずにはいられないだろう。ノヴァクが締め出された雪のなか白いを吐きながらガラクタとともに公園のベンチに横たわるとき、私たちは彼がそのベンチを愛おしそうに撫でることを既に知っている。そしてそのシーンの前には神父に向かっての告白がこのように挟み込まれている。
「もう神は信じていない。あいつらを選んだのは彼らが愚かだから。連中をコントロールできると思ったんですが、無理です。わたしは彼らより弱い」
ここまで来ると家のリフォームなど単なる映画作りのメタファーにすぎないことは明らかだ。本作が映画作りを語るどうしようもなく赤裸々な彼自身の映画に見えてたまらないのだ。
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