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昔々、アナトリアでのnetfilmsのレビュー・感想・評価

昔々、アナトリアで(2011年製作の映画)
4.3
 闇の中に浮かび上がる車の隊列が独特の雰囲気を醸し出す。3台の車を降りた男たちの中で、「ここか?」とある1人の男に声をかけるも、「ここではない」という気の無い返事が返って来る。どうやら彼らは主犯格の犯人を遺体遺棄現場に連れて来ることで、埋められた死体を探している。この導入部分は明らかにフィルム・ノワールの影響を醸し出す。暗闇の中のオレンジの光、男たちの捜索、言葉をほとんど発しない不敵な犯人、そしてそれを取り囲むように1台の車に収容される物々しい男たち。ここまで完璧にハリウッドのスタイルを踏襲し、ショットの一つ一つが不穏な空気を醸し出す映画は近年稀である。しかしながら今作はフィルム・ノワールを踏み外す。主犯格の男の供述を元に、彼らは心当たりのある場所へ一つ一つ案内するが、酔っていた犯人はどこに連れて行っても、「ここではない」という主張を変えることがない。やがて疲労のピークに達し、警察と検察と医者の仲間割れを狙い、その隙に主犯格の男が逃げるのかと思えば、決してそのような安易な方向には進んでいかない。物語は一向に要領を得ないまま、車中の無駄話に必要以上に時間を割き、警察が主犯格の男を連れ回している間の待ち時間の、医者と検事の他愛のない話を延々と繰り返す。

 ここでも前作『スリー・モンキーズ』同様に、事件そのものは観客に目隠しされ、周辺事態の方に明らかにフォーカスしていく。ジェイランは単純な切り返しを極力用いることがない。風景は常にロング・ショットでフレームの中に収まり、役者の細かい演技でさえも据え置かれたロング・ショットの中で行われることが多い。トルコの美しい自然溢れる風景をバックに、荒涼とした大地を3台の車がゆっくりと進み、丘陵地隊を緩やかに下り、そして緩やかに登っていく。3台の車列はジェイランのロング・ショットにより風景の中に溶け込み、物語さえも自然の中にゆっくりと埋没していく。ミステリーの終着点はどこかへ消え去り、真にスピリチュアルな体験が登場人物たちを優しく包み込む。やがて死体遺棄の現場にたどり着き、むごたらしい死体を犬が掘り返す現場に遭遇する。おそらく腐敗した臭気は既にその現場に立ち込め、真にバイオレンスで猟奇的な現場を目撃することになるのだが、ジェイランはその猟奇的殺人から別の方向へと我々観客を誘う。こんな残酷な場面にも警察組織の人間の本音があり、検察と医者は粛々と仕事をこなしていく。人間の死という最も悲しむべき場面は棚上げされ、そこにあるのはルーティン・ワークとしての作業でしかない。その作業が荒涼とした土地で粛々と行われる。

 街に戻ってからの主犯格の男に対する被害者家族の抵抗の瞬間は、真にシリアスな沸点へと掻き立てる。加害者と被害者にはおよそ10m弱の距離があるが、その距離を超えるために被害者の息子の精一杯の抵抗があり、被害者の妻の冷淡な目線がある。身勝手な犯罪の詳細を追うことはないものの、ジェイランは加害者と被害者の距離を物理的に示すことで、私たちに様々な感慨や余韻を抱かせる。決して説明的にならずに状況を雄弁に語るような素晴らしい描写である。
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