足立正生監督が「椀」(1961)の次に日大芸術学部「新映画研究会」のメンバーと制作した最後の学生映画。澁澤龍彦が称賛した一本。助監督は大学の後輩だった沖島勲。音楽は一柳彗。「鎖陰(さいん)」とは女性性器欠損症状の意味。35mm・モノクロ。
膣欠損症の女とその女を愛する男、しかし肉体の上では交合できない。女はナイフで穴を開けようとしたり手術を受けようとするが。。。
全編を通して白飛びで撮影しているため何が映っているか判りづらかった。プロットは前作「椀」と共通点があるが寓話ではなく現代が舞台。再び葬式が描かれた上で火葬場での焼骨を描写。生と死の輪廻の中で一組のカップルが子作りを望むが、女性に性器がないため叶わない。「椀」では権力打倒の夢が示唆されるが、本作では暴力が内に向かいカップルは破滅していく。時代の閉塞状況を描いたのだと考えられるが、映画の出来は良いとは思えず、最も印象に残ったのは一柳彗による電子楽器による前衛的な劇伴。個人的には前作「椀」の方がずっと好みだった。
本作は映画の内容以上に上映形態が話題を呼んだとのこと。当時、足立監督ら日大新映研は学外の芸術活動の場として「VAN映画科学研究所」を設立、そこに赤瀬川原平、一柳慧、オノ・ヨーコら若き前衛芸術家たちが集まり、京都で“「鎖陰」の儀“(1964)と題したイベントを開く。本作の上映と合わせて祈祷やピアノ破壊、紙に火をつける儀式的パフォーマンスを行うというもので、これが大きな話題となり新宿文化のアートシアターで5日間連続上映が決定、連日大入り満員を記録し足立監督の名を広く知らしめる事になる。
映画を芸術運動、政治運動と結び付ける方向性は後の「赤軍-PFLP 世界戦争宣言」(1971)に繋がっていく。逆から考えると、同時代の空気と運動の中で見られるべき映画と言えるかもしれない。
※澁澤龍彦の同時代評(抜粋)
夢魔のような心理状況を残酷とエロティシズムの断片的なイメージで点綴し、しかもそこに奇妙なノスタルジックな抒情性を生んでいる作品であった。これはそのパターンにおいて「白日夢」(1964)とそっくりであるが、この映画がぐっと通俗的であるのに較べて「鎖陰」は、はるかに斬新で日本の風土に根ざした死や欲望の暗さをはるかに見事に定着していたと思う。
※「鎖陰」というタイトルや本編内容については、後に足立が脚本参加した「新宿泥棒日記」(1969)にも出演する性風俗研究家、高橋鐡の助言を仰いでいる。
※一柳慧はオノ・ヨーコの元夫。