の・ようなもの のようなものの作品情報・感想・評価・動画配信

「の・ようなもの のようなもの」に投稿された感想・評価

MAeKeN

MAeKeNの感想・評価

3.4
「の・ようなもの」の続編。

志ん魚(しんとと)は志ん魚のまま。
特にこれといった変化が終盤まで殆どないまったりした邦画(終盤も大きくは動かない)。
当時の北川景子さんの演技が酷すぎて、そりゃネットで叩かれるな、と思った一作。
仁

仁の感想・評価

3.8
ストレートな森田芳光へのトリビュートだった。まるで同窓会みたいなキャストが楽しくて、「あ!この人〇〇に出てた!」の連続。宮川一朗太のセリフなんかはちょっと涙出そうになった。

前作はどうしようもなくユルい空気で、ダラダラ生きてま~すみたいな感じだったけど、今作はそれを大方継承しつつも現実を見せてくる部分がある。80年代と現代の隔たりの現れかもしれない。
とはいえ、志ん魚(しんとと)が開口一番に言ったセリフが「おっぱい大きくなっちゃってぇ!!」な時点で、やっぱり『の・ようなもの』でしかないんだよな。
あられ

あられの感想・評価

3.0
過去鑑賞記録
OBAKE

OBAKEの感想・評価

3.0
映画の雰囲気と街と人間が見事にマッチしている。ほのぼのした気分で身終えられる良い作品でした。
お気に入りは尾藤イサオの演技。本物の噺家さんの師匠の様だ。
2015年の感想。DAIGOとの結婚で北川景子の露出がテレビが多いのは、本作のキャンペーンで発表したのかと。森田作品のトリビュート作品と言っていい内容で前作の「の・ようなもの」を観てから行くことをお勧めします。35年後を描いても主演だった伊藤 克信、尾藤イサオ、でんでんが今も活躍していることは、嬉しい限りだ。特に個人的には、でんでんが脇役で有名になったのが嬉しい。尾藤イサオがいい味出している。松山ケンイチは、「A列車で行こう」のオマージュであったり、北川景子は、「間宮兄弟」であったりとかつて森田監督と関係があった人が出てくる。話は、協賛してくれている女性会長が、しん魚に会いたいということから35年ぶりに仲間が集まるという話。墓場でしん魚を見つける件は、力技過ぎる。前作でそんなに師匠と弟子との関係が描かれていなかったので筋立ては、少し強引でしょうか。でもトリビュート映画としてみれば、十分その役目は、果たしてると思います。
ねこ

ねこの感想・評価

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いいえいが
アマゾンプライムにて。

森田芳光監督の「の・ようなもの」が観たかったが、アマプラにはなく、35年後の設定というこちらを視聴。

人生の夢と現実、仕事の厳しさ、下町の人情や情緒を感じさせるストーリーで、良い映画でした。
クライマックスでは不覚にも胸に込み上げてくるものも...

森田監督のオマージュということで、北川景子演じる夕美は、「間宮兄弟」での役名と同じで明るくて魅力的なキャラもそっくりでしたし、同じく塚地武雅もチョイ役でコーヒー牛乳飲んだり。
私はさほど観れていないのですが、きっと森田作品を彷彿させる場面が多々あったんでしょう。

順番は逆ですが、更に「の・ようなもの」が観たくなりました。
35年経っても、全く上手くならない伊藤克信はすごい。
どんな大根も長年続ければ少しは上手くなるものだが、微塵たりとも上手くならないのは稀有な才能である。
前作『の・ようなもの』は、この大根役者がいないと成立しない。
のようなものとは、日本人特有の照れと自信のなさと曖昧さで言い切らない表現。
落語家のようなもの、芸能人のようなもの、アーティストのようなもの、評論家のようなもの、レビューのようなもの・・・
アマチュアから抜け切らない監督のようなものが、ド素人役者のようなもので撮った映画なのだ。
そして35年後、森田監督が亡くなった後で総決算のような形で森田組の助監督が作ったのが本作。
本作自体が『の・ようなもの』のようなものなのである。
しかし、それは贋作でもまがい物でもない。成長過程のものなのだ。

そもそも上手下手の違いは何だろうか。よく解らないが、一つ感じるのは力の抜き加減だ。緊張と緩和にも通じるが、常に同じ調子で力んで演じていては、台詞は棒読みになるし演技はロボットのようにぎこちなくなる。同じリズム同じペースは不自然さに繋がる。
一生懸命、力めば力むほど不自然になる。だから新人は総じて下手だ。
まじめに力を入れ過ぎるのだ。力を抜いた方が良い。後は間とタイミング。
だが下手な演技は、どこか機械的で何を考えているか解らない不気味さがある。伊藤克信には正体不明の不気味さがあるのだ。
本作はぎこちなさを上手く演じられる松山ケンイチと、本当にぎこちない伊藤克信が共演している所もオカシイ。
あとは伊藤克信の下手な落語を本当に見せることは出来ないので、いかに上手く誤魔化すかが見所である。
音が消えるのは事故ではない。BGMは流れている。

残念ながら森田監督は亡くなってしまったが、伊藤克信が生き残りしかも35年前と全く進歩のない大根ぶりが、この話を成立させている。
劇中に斜めになった額縁や崩れた暖簾が出てくる。キチンとした演技だけが良い演技ではない。斜めの味わいがある。
上手い演技が面白いとは限らないし、下手な演技が詰まらないとも限らないのだ。
物語の中で伊藤克信演じる元落語家は未だ『のようなもの』であって、何者にもなれない。夢のせいで人生を浪費したように見える。けれど、好きなものを追い続ければそれで良いじゃないか。
いつまでたっても完成しない、のようなもので十分だ。
こうしてレビューのようなものを、また書いてしまった。
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