セッション
少なからずこういう指導者はいる。私も経験した。手ではなく唇から血が出るほど。
"体罰"を描いているといわれるが、問題はそこでは無いと思う。結局は主従関係ではなく個人対個人。
ひとたび音が鳴ればプレーヤーを見ず音楽を愛し求める指揮者と、その音楽の欲望の道具になるしかない奏者。その主従関係からセッションが始まる様子が、手に汗握り息が詰まりながらも面白かった。
この指導方法やフレッチャーの指導者としての人格を否定する人もいるだろうが、実際にいる。良い悪いではなくこういう人がいて、こういう人に壊された人とこういう人に見つけられた天才がいるのだろうな。