つかれぐま

セッションのつかれぐまのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
5.0
24/3/11@イオン調布❾

不穏を煽る編集テンポ。漆黒のスタジオ。そこに君臨する悪魔・フレッチャーが登場。僅かに開始10分で早々に狂気の世界への扉が開く。

編集テンポにまずやられた
予定調和より僅かに早い独特なテンポは、不穏な空気を醸し、フレッチャーが追求する「理想の”ファッキン”テンポ」とも呼応する、表現とテーマの見事な一致だ。

悪魔の狂師フレッチャー。
凛とした佇まい、隙のない服装、贅肉のない肉体。自分でコントロールできる全ての領域に神経を注ぐそのキャラクターからは、逆にコントロールできない領域=天賦の才には恵まれなかった男であることを想像させる。開始早々に彼がデブなメンバーを外すのは、肥満というコントロールできるはずの領域をおざなりにする姿勢が許せなかったのだろう。とにかく凄まじい努力を自らに課しているが故に、生徒にもそれを要求する教師だ。

至高の音楽を目指すフレッチャー、主人公ニーマン、ニーマンの父。この3人の誰もが「小さい」人間であることが、本作の面白さだ。その「小ささ」を隠すように大きく見せようとする可笑しみが作品に深みを与えている。フレッチャーは結局チャーリー・パーカーの都市伝説に心酔するばかりで(最後には奇跡的にそれが実現するのだが)独自の指導法はおそらく持ち合わせていない。ニーマンにとっての音楽は、他者を、世の中をマウントするための道具かもしれない。一見優しいニーマンの父も親戚の前では思い切り背伸びせずにはいられない。父として腹が据わっていない。人間として小さいやつらばかり。

そんな小さい奴らでも、否、小さくなければ到達できない領域があることを、この映画はラストで見せてくれる。音楽という才能が努力に勝る世界(少なくとも本作はそう定義する)において才能に恵まれないものがどうすればよいか。その一つの答えを提示する最後のセッションには鳥肌だ。

(フレッチャーの策略にはまり)一度はステージを降りたニーマンが戻る。制止するフレッチャーにニーマンは"I cue you"と叫ぶが、これが"I KILL you"にも聞こえる。おお凄いぞこれは。しばらくニーマンの独演が主観映像で続くので、初見時は「これはニーマンの妄想?」と疑ったが、次の瞬間カメラは俯瞰する客観視点に切り替わり(バンド全体が一つになり)死ぬほど練習したあの曲「キャラバン」が始まる。やったぞこれは現実だ。とここで確信する。この一連の編集が本当に最高で悶絶。

否定的な意見も目に触れる。
特に音楽界からは、音楽へのリスペクトがない、音楽とくにジャズは楽しんでやるもので血も汗も涙もいらない、との論調が多かったそうだ。私見を書けば、それは天賦の才に恵まれた(音楽界のトップ1%にいる)人々だから、天上からそう思うのだろう。残る99%はこんな世界だよという説得力がこの映画には確かにある。監督のデミアン・チャゼルは、高校時代ドラマーを目指したが才能の無さを自覚し、映画の道へと志を変えたそうだ。そんな実体験に基づいているから「キレイごとをねじ伏せる」強度が高く、カッコ良い。

小さい男、サイコー。