YasujiOshiba

ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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U次。いつの間にかケリー・ライカート祭り。実はワインを飲んでから見たもので50分ほど寝てしまう。目が覚めるとダムの爆破のシーンから後半の農業共同体のシーン。完全に目が覚める。なんという緊張感。そしていつものエンディング。ライカートらしいといえばらしいのだけど、一味違うといえば違う。ジェシー・アイゼンバーグが依代となるジョシュのキャラクターがそうさせるのだろう。

環境テロリストとでも呼べばよいのだろうか。しかし、誰にだって、環境問題への関心はあるのであり、多国籍企業をぶっ飛ばしてやりたくなる気分になることだってあるはずだ。だとすれば、アイゼンバーグ/ジョシュがやろうとしていることはわからなくもない。しかしだからといって、爆弾を作ることはない。

目的を持って、意志を強く、やりとげる。そんな力への狂信を原理主義という。一方で、常に目的を結果と照しあわせながら疑い、他人の意見に自分の意志は揺れ動き、最後までやり遂げるどころか、途中で諦めてしまうような「力」だってある。あのバートルビー的な「できればやりたくない」という力は、否定的な「いい加減」ではなく、肯定的な「いい加減」ではないのだろうか。

そんなバートルビー的な非の潜勢力が、この作品の風景には満ち満ちている。破壊されることを拒むようなダムの美しさ、ダム湖でのレジャー、そして破壊者に声をかけるトレッキングの男のひと懐っこい笑顔。ジョシュの農業共同体の生活。ディーナ(ダコタ・ファニング)が営む癒しの空間。そこにとどまって、それ以上のことは「できればやりたくない」という力を働かせている人々の姿...

ライカートが開いたのは、政治的であることの別様のあり方。ぼくらは真面目に目的を追求するのではく、もっといい加減でやりたくないことはやらずに、目的もなく酒を飲んで酔っ払って踊ればよいのだ。それもまた、いやそれこそが、来るべき共同体の政治的なあり様なのかもしれないのだから。

いやほんと政治的に左派だってことは知っていたけれど、左派であることそのものを問いかける政治的な映画。しかしメッセージを伝える映画ではない。あくまでもキャラクターを描く映画。政治的であることを否定しながら、政治的であることを問う映画。逆説的に「できればやりたくない」というバートルビー的な非の潜勢力を背景に浮かび上げるような、そんな映画。

(参考:https://tribecafilm.com/news/interview-kelly-reichardt-night-moves)
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