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モアナと伝説の海のnetfilmsのレビュー・感想・評価

モアナと伝説の海(2016年製作の映画)
3.7
 エメラルド色の海に囲まれた自然豊かな南の楽園モトゥヌイ。紺碧の海に青い空がどこまでも続く、波の穏やかなこの島では、風変わりなお婆ちゃんのタラ(レイチェル・ハウス)がいつも子供たちに向かって、ある伝説を語り継いでいた。母なる女神島テフィティ。生命の源となった神秘の島では、数々の生命の息吹を見守って来た。やがてテフィティの全知全能の力を求めるものが現れた。エメラルド色の宝石で出来たテフィティの心を手に入れることが出来れば、神のような存在になれると信じたマウイ(ドウェイン・ジョンソン)は最も勇気ある若者として、テフィティの心を奪いに行く。かくして半神半人のマウイによって心が奪われると、世界に死の闇が広がってゆく。マウイは逃走の途中、マグマの悪魔であるテ・カァの襲撃に遭い、テフィティのハートと神の釣り針を失い、その力を失った。それから数千年、タラの言葉にロマンを感じた幼少期のヒロインであるモアナ・ワイアリキ(アウリイ・クラヴァーリョ)は海とある不思議な経験をしたことで強い絆で結ばれる。モアナの父で、モトゥヌイ島の村長を務めるトゥイ・ワイアリキ(テムエラ・モリソン)は彼女が海に出ないように、常に目を張っている。モアナは16歳になり、いずれは父親の後継ぎとして島のリーダーになることを嘱望されている。
 
 ウォルトディズニーアニメーションスタジオ長編最新作。奇しくも『リトル・マーメイド』のアリエルと同じ16歳になったモアナは、アリエルが地上の世界に強い憧れを抱いたように、珊瑚礁の向こうに拡がる「ここではないどこか」へ強い憧れを抱く。しかし両親はこの島の人々がサンゴ礁の向こうへ航海することを禁じている。ニワトリのヘイヘイや怖がりのブタであるプアに愛されるヒロインにとって、この島で唯一の味方となるのはお婆ちゃんのタラである。背中にエイのタトゥーを彫ったお婆ちゃんとヒロインは、山ではなく何故か海を愛し、思いを馳せる。『リトル・マーメイド』がエリック王子への愛情が物語を駆動させたのに対し、今作では闇に覆われそうになる島を救うために、ヒロインがたった一人で立ち上がる点が多分に現代的である。そこにはオールを漕ぐ人間も、島の人々の後ろ支えもない。大航海時代のロマンスのリアリティになぞるとすれば、大海原に向かうのは女性ではなく男性なのだが、強くて逞しい肉体を有するはずの父親トゥイは何故かいつもモアナに出し抜かれ、存在感が薄い。それどころか途中からヒロインと行動を共にする半神半人のマウイもかつての野蛮な行動から英雄視された自信を失い、およそ1000年の間地下に潜っている。男たちは引きこもり、女たちこそが航海に出るという逆転の発想は多分に現代的である。率直に言って、ヒットを約束された現代ディズニー映画でありながら、白人も黒人も黄色人種も一切登場しないポリネシアの伝統に根差した神話を使用する攻めの姿勢にまずもって驚いた。

 だがマイノリティへの温かい眼差しとシンプルな物語を追求すればするほど、逆に隠しようもない先進国のグローバリズムvsナショナリズムの二項対立を露わにする。珊瑚礁の向こう側とこちら側の境目には、時に命を危険に晒すような厳しい波がある。父親のプレッシャーを受け、自島(自国)の経済を守るためにという自国第一主義の命を受けたヒロインは、その旅の道中で強いグローバリズムの影響を受ける。子供には絶対にわからない世界観だが、大人の私からすれば現代アメリカへの風刺が実に見事で最後まで見入ってしまう。経済活動が国境間をボーダレスに進行しようとするのに対し、国や政府は国境を敷きたがる(壁を作りたがる)。両者の立場は時にアンビバレントな感覚を有し、ぶつかり合う。そして頼もしい男手は、世界の警察たる自身の立場をあっさりと取り下げようとするのだ。ポリネシアンの伝統的な神話に基づく物語は、極めて現代的なアメリカ社会の姿に酷似している。問題は明らかに今作が『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『キャスト・アウェイ』、『フック』やセシル・B・デミルの『十戒』などの実写映画の影響を隠さない点であり、アニメーションそのものの技術は申し分ないのだが、アニメーション独自の快楽がいささか薄いことにある。しかしサモアではタトゥーはある種の通過儀礼だということはよくわかるのだが、ディズニーのヒーローが全身総刺青のインパクトには、従来の価値観が少しずつ変わりつつあるのを実感する。『アナと雪の女王』や『ベイマックス』のように決して派手な作品ではないが、時代の転換点に位置する小品に違いない。
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