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モアナと伝説の海のimurimuriのネタバレレビュー・内容・結末

モアナと伝説の海(2016年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

タイトル詐欺もいいところ
伝説の海など作中内でひとつも存在せず、主題になるのは伝説の島の伝説の宝(なんとかティの心と呼ばれている命を作り出す宝石)

不満点として、最近のディズニーの女性主人公のテンプレ化が過ぎるというか、アナしかりジュディしかり、性格とか振る舞いとかもうほぼ一緒というね。日本の深夜アニメのキャラがどれも一緒に見えるとかいう批判が00年代に流行ったことがあったが、まさにそれを地で行く現象にディズニーもぶち当たり始めている。


今作も例に漏れず、伝統や大人やマジョリティからの抑圧からの自分自身の解放と主体性の回復とをテーマにごり押ししているんだけど、これがもう露骨すぎて、教育ビデオか何かかな?と思うほど説教くさい
いつから物語は「テーマさえリベラルなら説教くさくても構わんのだメッセージ性万歳!説教万歳!」みたいな悲惨なことになったのか。わたし自身どちらかというとリベラルですけど、最近のこういう傾向にはちょっとモヤる。
かつて宮崎吾朗版ゲド戦記を「説教くさい」やら「言葉で説明しすぎてジブリの良さを削いでる」と批判する意見が散見されていたことをわたしは忘れていないので、ゲド戦記なんかよりもはるかに直接的に説教かましてくるアナ雪以降のデズニー作品の説教くささが肯定的に受け取られている風潮がめちゃくちゃ不思議に映る。

しかもそのくせこの作品は自分自身の解放というか主体性の回復的なテーマが後半に行くにつれボケだすという致命的な欠点がある。
モアナ自身しきりに語っていたように、なぜモアナが選ばれたのかという理由というか必然性に説得力が無い。まぁそういうのは往々にして、超越者の偉大なる意志のもとに人間が翻弄されるという構図の伝統があるので「そういうもんなんだよ!」のごり押しでとなんとかカバーできるけど、後半のクライマックスの最後までモアナは旅の理由を「自分が海に選ばれたから」というもので押し通し、マウイにもそれを押し付けている。これはいかがなものか。
自分はてっきりそこで「旅のきっかけは海に選ばれたからだけど、この旅(人生)を選んだのはまぎれもない自分自身だ」的なモアナの自覚による構図転換が起こると思っていたのに、特にそういうのも無く、最後まで夏木マリに背中を押されっぱなしの終幕で残念だった。

あと、物語における海の役目がぼやけてて、ちょっとよくわからなかった。
海はていのいい保護者でしかなくて、でもなんでそんなパターナリスティックな関与をモアナにしているのかという肝心な点がよくわからなかった。例えば亡き母の意志が海に乗り移ってモアナを見守っていた的なことがあるんならわかるけど、そういう事情はどうやらないらしかった。
その上で海は単に楽しようとするときはモアナを無視し、ピンチの時と説教をかますときだけは助けつつコミュニケーション図ってくるという保護者ヅラをかましてくる。
しかも、海は夏木マリともティフィティ?とも別人格というのだから尚更わけがわからないというか海のパターナリズムの説得力ないのよね。これで海が実はティフィティの意志と同一のものだったのなら、まぁまだ話として自然なもので納得できるんだけど、まさかの別人格というね。
ファンタジー作品こそ展開におけるロジックが大事なのに、この作品はその根本のロジックがイマイチうまいこと連結してないというか煮詰まってないように見えた。というかそもそもモアナの旅立ちの動機だって自分の冒険心ではなくて村の生活のためってことにされちゃってたわけだし、やっぱりテーマに対して不徹底に見えるんだよな。

何より悪かったのは、村との和解の過程が一切描かれなかったこと。
冒頭から察するに、あの村は祖先の開拓の頑張りもあってかなり豊かで村民も村の生活に大いに満足してたはずで、そこにティフィティの心不在のせいで陰りが見えたから、モアナがそれを取り除いてきました、というあらすじなわけで、帰還したモアナが祖先の伝統が実はイカダ族だったんだということを伝えたとして、皆が皆イカダ族に還ることを望むとは思えんのよな。なのにエンディングではほとんど(あるいは全部?)の村民がモアナを筆頭にほんの数日でイカダ族に転身し海に出ていってしまうというわけのわからなさ。
村民を自分に置き換えて考えると、さすがにあんな思い切った選択をする自信はないし、それも村の長がそう決めたってだけでついていけるほど抑圧に対して寛容にはなれないわ。

今後リベラルなディズニーが描くべきテーマがあるとすれば、むしろ、俄かな伝統に固執した保守村民と自由主義的な被抑圧者がどうやって民主的に折り合いをつけていくかという点じゃないの?
いつまでも天真爛漫な女の子が何か巨大な意志のもとに偉大な成功を収めてその利益にマジョリティの保守層を便乗させることで自由主義に迎合させるみたいな展開は捨てたほうがいいんじゃないのかと思うんだけど

あ、あと、モアナがデリカシーなさすぎてドン引きした
善の目的を抱いていれば多少のお節介や無理強いは許されるみたいな目的至上主義的な風潮もアナ雪以降強いけど、あれほんと謎なんだよな
ズートピアの場合にはそれが人を傷つける欠点にもなりうるってことをちゃんと描いてたけど、モアナに関してはそういうのは全くなくてゲンナリしてしまった。結局は「言い伝えではそういうことになってるから」という理由を押し付けてマウイの善意に寄りかかってただけ。


とまあ、これだけ悪い点ずくめでも映画としては普通に面白い作品に仕上げてくるんだから、やはり地力があると言わざるをえない。
見所はかなりたくさんあって、終始楽しめる映画になっている。
とくに主題歌の歌いどころがジャストすぎて、見てて普通に感動する。
あと吹き替えの声優陣の歌も上手。
マウイのタトゥーとかもナイスな設定だった。

あとは女性と子供と以外を露悪的に化け物じみた造形にするのをやめてくれれば尚良かった。なぜ男性キャラだけあんな非現実的なデフォルメが施されてしまうのか。超美形にするならともかく、なぜゴツくデフォルメする必要があるのかようわからん。かつてアニメーションに前提されていた女性の過度な美化デフォルメという悪習への反省が全く生かされてない。
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